スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

デイダラ

 
「血統に恵まれただけの
勘違いヤローが」


この台詞で、僕はデイダラが好きになりました(39巻/145頁)。これは、サスケの写輪眼を見た時に発した言葉ですが、このズッと後に、デイダラの「暁」勧誘で、イタチVSデイダラがあった事を知り、「写輪眼」との因縁が深かった事が知れます。

この時、感じたのはデイダラが「苦労人」であろう事…
その…臭い。

そして、デイダラの起爆粘土も「血継限界」ではなく、単なる「土遁」から創意工夫と努力の末に獲得したスキルであり、「暁」(里影レベルであると言う事)の一員としての「力」を苦労して積み上げて来たであろう背面の事実が、その少し後に読み解ける事になります。

「カカシのだろうアレ!
伸ばしたり投げたりと形態変化は認めてやるが」

サスケとの対戦が進む中、デイダラはサスケのスピード(瞬身)の異常なまでの速さや、雷切(「 正確には千鳥という術だがな…」40巻/38頁…笑)の形態変化のバリエーションの多さを認めています。如何に血統(血継限界)に恵まれていようと、努力なくして、それが修得できないであろう事をデイダラは認識していたのです。それは、デイダラが努力して、積み上げて来たからこそ、認められる「現実」だと…デイダラは「理由」を知る者だと、僕は思いました。自分が苦労したから、他者の苦労が理解できる。

それは「心」がある…と言う事です。

そんな愛すべきデイダラをもう一度、じっくりと考えてみましょう!

デイダラの初登場は第二部が始まって直ぐ、砂隠れを強襲して我愛羅を拉致拘束する一件からです。第一部の最後でもシルエットで登場していますが、その時は天井からぶら下がってて…(笑)。きっと、コウモリみたいな…天の邪鬼キャラだったのかな。しっかりと、語尾に「うん」もありましたが…。本格的な登場と言う事で、そこは、ひとつ…何卒…(汗)。

この時、デイダラは余裕の闘いっプリで、我愛羅を圧倒しますが、余りにも余裕をコキ過ぎて(笑)、左手を潰されてしまいます。結局は、C3投入で砂隠れの里を破壊阻止(我愛羅はこの時、里全体を覆い隠すような大きな砂の楯を翳した…)に気を取られた我愛羅を、起爆粘土のトラップ(C1)で沈黙させ、拉致って連れ去ってしまうのですが、確かに、この時、我愛羅の瓢箪の砂の攻撃で、デイダラの左腕は潰されてしまいました。

「さて…
どいつが"人柱力"かな…?
うん」


我愛羅の拉致は同盟国の木の葉隠れにも伝わり、カカシ班がその奪還任務に就きます。その追撃戦で「暁」の阻止行動があり、遅れを取る中で、我愛羅は一尾・守鶴を抜かれ死んでしまいます。数々のトラップを躱し、木の葉の小隊が現場に到着します。そこでは、デイダラとサソリが待ち受けていました。デイダラは我愛羅の骸を餌にしてナルトを誘い、そのままデイダラVSナルト・カカシの交戦に突入して行きます。

サクラ・チヨばあがサソリを撃破。次いで、デイダラが距離をとってナルト・カカシをからかっているような局面を、カカシの「万華鏡写輪眼」による瞳術が大きく動かします。またも余裕をブッこいていたデイダラは、カカシの万華鏡瞳術によって残された右腕をもぎ取られます。デイダラって、意外に「呑気」な一面があるんですね(笑)。デイダラは、子供っぽさと言うか、無邪気さを残している…と、僕は分析しています。

カカシがまだ万華鏡瞳術を完璧にコントロールできない為に、瞳術の干渉する座標が右腕にズレてしまった為に腕で済みましたが、カカシは本来なら胸部(心臓)を一撃で削り取りたかった筈です。それがブレて腕で済んだだけで、不幸中の幸いと言うところでした。が、デイダラはこの攻撃で、残った右腕も無くしてしまった。右腕の肘部分はカカシの術の特性から、何処か別の空間(場所)に跳ばされ、最早、回収不能になってしまったものと思われます。

デイダラは、その後、敗走し、自爆分身で何とかピンチを凌ぎますが、両腕を失ってしまいました。大蛇丸の時もそうでしたが、忍者にとって両腕とは「印」そのもの。つまり、「術」そのものです。デイダラの場合、掌には「口」も装備されていて、この「口」で起爆粘土にチャクラを練り込み、遠隔操作し、攻撃を組み立てるのがデイダラの戦術でしたし、勿論、「印」も結んでいたので、非常に重要な部位である事に代わりはありません。その割に、デイダラはそれ程、困ったようでもない感じがしました。

「窒息死だ……うん!!」

「暁」の指輪を含む右手を回収に現場に戻ったデイダラはトビと合流します。トビの一言も二言も多い言葉に切れて(笑)、デイダラは、トビの首を絞めますが、両手がないので、両足で絞めています。確かに、この時、トビの両腕は物理的に消失していました。痛みを堪える精神的な修行をちゃんとしていたから、デイダラは平静にしていられたのだと思います。後の描写でデイダラが「痛み」を感じる事が判っていますので、一応、生身(?)であると思われます。問題は…その材質?!(笑)

デイダラは現場に残された右腕を回収しています。この「遺物」を、この場に残して行く木の葉も木の葉ですが(汗)、<ベロン>と舌を出して千切れてしまった腕を、追撃の危険性を顧みず回収に赴く必要性がデイダラにはあったものと思われます。「暁」の「指輪」も大切な代物ではありましたが、デイダラが自分の身体を修復する為に、千切れてしまった腕であろうとも必要だったのだと、僕は考えます。

デイダラは恐らく、角都の手(能力)を借りて腕を修復したものと、僕は考えています。次にデイダラが本格的に登場する「対サスケ戦」で、その痕跡が見えかくれしています。先ずは、我愛羅に潰された筈の左腕…。

サスケとの対戦が熾烈を極めたので、かなり傷付いてはいますが、縫い目を除いては、デイダラの肌と同じ外見で左腕がくっ付いています。この「縫い目」が角都が縫合した痕跡だと考えています。「角都医療忍者説」(笑)です。角都は文句を言いながらも、分断された飛段の首と胴体を縫い付けていましたね。それで、デイダラの左腕も角都が縫い付けたとして、その手術(?)の前にデイダラは左腕は潰されてるか、もがれた筈ですから、あの腕は「スペア」だったと考えるのが妥当だと思います。でも…「スペア」があったんだ…(笑)。

「もう
問題無いな…うん」


右腕の修復はかなり特殊でした。恐らく、カカシに削り取られた肘の部分を何かを使って補完しています。それに拾って来た「手」を縫い付けている。上腕にも縫い付けている。肘は自由に曲がるようでした。その欠損した「肘」の部分は、シワシワで明らかにデイダラの肌の質感と違いました。まるであの(尾獣の)「封印像」のようでもあり、デイダラの特性から考えて、それは「粘土」でできていると仮説ってみましたが、それを肯定する描写が、この後のサスケとの闘いで出て来ます。

「チャクラを使い切ったようだな…
動きが鈍いぜ」


サスケは、デイダラの正体を見切っていたのです(40巻/20頁)。生身の人間の場合、チャクラの残量と肉体の動きは必ずしも一致しません。チャクラ切れと動けなくなる事は生身の場合は関係ないと考えた方が自然ですが、サスケは写輪眼でデイダラの身体の秘密を把握していたのです。だから、チャクラを使い切る事で動きが損なわれる事に気付いている訳です。つまり…。

デイダラは粘土でできている!!

デイダラは粘土で出来ていて、チャクラで動いていたのです。ここで、サスケがデイダラの本体か、粘土分身かを見切れなかったのは、影分身の術自体が物理的に同一体を作り出す術であり、写輪眼でも見切れない事。それに加え、デイダラの場合は、粘土分身と言う特殊性があり、同一素材で尚且つ、粘土を種にする半実体であった為に、分身の術の解除が遅れた為です。それで、術の消失後もサスケの動きを疎外するオマケ付きでした(汗)。

しかし、デイダラが粘土でできているとしたら、スペアの腕も、肘の部分を補完した「修理」もしっくりと繋がります。左腕が既に肌と同じ質感になっていたのは、予備に作っていたから。右腕は肘だけを補完したので、即席にリペア(粘土を盛った)したからではないかと思います。角都の「糸」で縫い合わせたのは縫合強度が高かったか、時間的な問題で、チャッチャと修復する必要があったからかと思います。角都も非常に面倒見が良かったか、或いは、お金を積まれたら(笑)、どんな手術でもしてしまう…「闇の名医」だったのかも知れませんね(まるで…BJ?!)。

また、デイダラはよだれを流したり、血を流したり、傷を痛がったりした描写が残っているので、粘土で細かな部分に至まで『人体』を作り込むような器用な作業をしていると思われます。粘土もいろんな種類があって、皮膚用とか、筋肉用とか、血管、神経用など…それを組み合わせて人体を構成していた。ただ、骨(骨格)はなかった…と考えます。

でないと、掌に口があって、舌を<ベロン>と出すなんて、物理的・構造的に無理です(汗)。おまけに右胸にも大きな「口」が装備されてましたから…。「肋骨(ろっこつ)はどうしたねんッ!!」と、遠くから突っ込む声が聞こえましたから…(ウソ)。ところで、この胸の口は最期の最期の禁じ手として、封印してたようです…文字通り…角都の「糸」で封されてましたし…。縫い込まれた「口」の周りにもタトゥー(術式)までありましたから、術式によるセーフティロック(安全処置)も施されていたんじゃないかと思っています。できれば使いたく無かったんでしょうね。

「大体
弱点丸出しのあの造形は自信過剰なんだよ…うん」


デイダラはサソリのコアの存在を知っていました(31巻/120頁)。その上で「自信過剰」と言えると言う事は、デイダラの「コア」はもう少し上手に秘匿されていたと思われます。サソリの場合は…(オッといけない!詳しくは「サソリ」の考察にて…)。デイダラのコアは一撃で致命傷を負わないような形式になっているのだと思います。

描写から判断すると、デイダラのコアは胸の口を中心にして、デイダラの身体のあちこちに分散されていて、最期の爆発の時に胸の口に集まって球体を成した。集まって来たのが、その分散して秘匿していた経絡系や心臓だったんじゃないか?と考えています。チャクラも残り少なかったのに、猛烈な爆発でした…。あの爆発は、デイダラの「命」を燃やすような爆発だったんじゃないかと思います。だから、デイダラはホントに死んでしまった。完全に散ってしまった…と、僕は考えています。今度こそ、帰って来ない…な。多分…。

ただ、デイダラの「脳」は少なくとも人形の頭部にあったと(サソリの場合との大きな相違点)、僕は考えています。その根拠は、サスケとの格闘シーンにあって、二度目のC4カルラを防ぎ切った後、二人が森に落ちて、気を抜いたデイダラを、サスケが<ガツン>と、テンプル(頭部への打撃)にパンチを食らわせました。ガッツリと、サスケの拳がデイダラの顎(急所)を捉えています。そのダメージがデイダラの脚に来たのだと思うんです。これは"脳"が揺れたからです。この描写が、デイダラの脳は頭部にある証拠だと思います(ホントは当たり前なんだけど…、「どんだけーッ!?」って人?ばかりなんで、「暁」は…)。

デイダラの膝が<プルプル>となって、ドスンッと、可愛らしく(ポッ…^^;)尻餅をつくシーンがそれです。あれは、脳が揺さぶられたダメージです。それに、チャクラが残り少なくて動きが鈍くなっていたのとで、(文字通り…)ダブルパンチだったのでしょう(笑)。「オイラが動けなくても起爆粘土が…」(40巻/48頁)と言う台詞は、実はブラフ(はったり)ともとれます。サスケが怯んでいる内にチャクラを少しでも回復しようとしたのではないでしょうか。

それと、デイダラの身体が粘土性だとして、チャクラのみが原動力ではなくて、生体エネルギーによって動く…「筋肉」として機能する「粘土」が存在すると考えたい気持ちもあります。だとすれば、デイダラは何らかの栄養を補給し、それを「糧」として身体を動かしていた事になるな…と、ちょっと期待しています(笑)。きっと、何か食べたり、飲んだりしてたんじゃないかと、僕は考えたいのです。

「旦那も喰えば良いのに…」

なんて良いながら、サソリの前で、お団子とか食べてたんじゃないでしょうか?(笑)こう言う、可愛いシーンがデイダラには似合うから、何処かしら人間っぽさを残しておいて欲しい!と思ってしまうのです。ナルトみたいにラーメンが好きでも良いし、バナナが大好きでも良い(別段、大人な意味はありませんので、一応…汗)。ケーキに眼が無いとか(笑)。

ムシャムシャと団子を食べるデイダラ…なんて可愛くて仕方ないですよね!

ムシャムシャと食べる「口」(フフ…)。

デイダラには両掌と胸と、そして普通(笑)の「口」があったので、合計4個の「口」があった事になります。デイダラの攻撃特性は起爆粘土。それを、それぞれの「口」の中で咀嚼するようにしてチャクラを練り込んで、造型に「命」(あたかも"命"があるがごとく動く…)を吹き込んでいました。チャクラを使い果たした時は作品も上手く出来ませんでしたね(40巻/28頁)。

確かに…多い…(汗)。
何で、こんなに「口」が多いんだろう?


デイダラの身体は特殊な粘土でできていた…とする仮説を先に展開しました。身体の修復の具合や掌や胸に配置された「口」の構造を観察すると、「デイダラ粘土造型説」はある程度(僕的には「鉄板」…笑)、力を帯びて来ます。芸術(=造型)に対するこだわり方からしても、デイダラは、誰でもない…自分で自分を造型していったんだと思っています。自分で自分を作った。だから、攻撃特性の中核になる「口」の意匠(デザイン)や造型にはこだわりがあったんだと思います。

思えば、デイダラは少年のような体型でした。タッパ(身長)も低かったです。経験量、物言いや考え方からすると、かなり歳を食っていてもおかしくないだけど…。何ぼ何でもですが…角都と一緒でも良いくらいです(笑)。恐らく、デイダラの身体的特徴は実年齢とは一致はしないと思われます。デイダラが造ったんだったら、自分の望むものだけを造ったはずです。もし、自分で自分を造ったのであれば、それはデイダラが想う「願望」が隠されているに違いないと、僕は考えています。

デイダラは自分の幼少時代に想いを残している!

デイダラが少年のような身体で、それを自分を仕立てたとするなら、そこにデイダラの「意図」、或いは「想い」を感じてしまいます。デイダラは「暁」の勧誘の時点で、一人ぽっちでした。お堂のようなアトリエで独りきり創作活動(テロ活動を含む…笑)をしていた事でしょう。きっと、小さい頃から親との縁も薄く、自分だけの力で、戦乱の世の中を生き抜いて来たと、僕は想像しています。デイダラの言葉にはそう言う人生を送るしかなかった者の臭いを感じてしまいます。何故、それが判るかと言うと…(汗)…(長い沈黙…汗)。

デイダラの「口」の造型は幼年期の「置き忘れ」を象徴している…?!

フロイトの精神分析学を引用すると…大人の「口唇愛」(こうしんあい)は幼児期に「口唇愛」を剥奪されたことの反映であるとしている。フロイト説によると、幼児が通常与えられべき「口脣愛」を与えられないと、一生その欠落を補償するために費やす…とあり、デイダラが「口」と言う造型にこだわった理由がそこにあるんではないかと、僕は考えているのです。具体的には、乳飲み子の段階で母を失った…と言う想像です。

この考えには、デズモンド・モリス博士の提唱する反論(赤ちゃんの時に、母乳を吸う喜びを与えられてた人は、大人になって、再び味わうチャンスがあった時、それを見逃さない。それは幼児期に、口唇愛の剥奪がなかったから…)があるんですが、デイダラの場合、捻れ方には「ひがみ成分」が大量に含まれているので、きっと、その「快感」(喜び)を味わう前に奪われた…とするのが、僕の分析です。もしかしたら…デイダラがテロ活動に参画していたのも、そんな不条理に対する「復讐」なんじゃないか?とも勘ぐってしまいます。

これで、デイダラが「爪」を噛む癖(ドキッ!!)みたいのがあればビンゴ!!なんですが…(脂汗)。でも、何らかの精神的なストレスをデイダラは絶えず抱えていたと思います。サスケとの闘いでも、それは随所に垣間見れましたし、デイダラが絶えず近くに居る人格に対して、「同意」なり、何かしらの「反応」を求めたのは、デイダラの抱える「自己無価値感」によるところが大きいと思います。そして、僕が一番気になっているのが、デイダラの台詞の最後に付け足される「うん」です。

デイダラの『うん』は音声チックだ!!

僕はドクターでもなければ、親でもないので、愛情を持って子供さんを育てている親御さんには失礼かと思いますが、デイダラは『トゥレット障害』(トゥレット症候群)だったんではないかと、想像(あくまでも…妄想ですんで…)しています。

『チック』とは、その一群の精神疾患の内の「音声」や「行動」の症状を主体とし慢性の経過をたどるものを指します(詳しくは"ググる"か何かしてみて下さい)。子供は「心」と「身」体の相関が強いので、何らかの要因で「心」に緊張と不安や葛藤が生じると、それが、身体症状や行動の問題を伴います。広義においては「心身症」の一種(傾向)とされています。

これは、「症状」であると同時に、子供が「助け」を求めるサインであるかとも思います。デイダラは常に「助け」を求めていたのかも知れません。緊張や不安と言った得体の知れない恐怖から、デイダラは逃れたかった…のです。だから、デイダラ自身、不必要に多弁であった…。リアクションの大きな(してくれる)相方を求めていたのではないでしょうか。それが、サソリであり、トビであったのです。そして、その「ダメージ」を治療できずに引きずるデイダラが、自己評価が低いような態度(行い)を見せたり、抑鬱的な描写があったりするのを見ると、僕も胸の奥が<キュン>としてしまうのです(汗)。

誰かが…デイダラのサインに気付いてあげる事は出来なかったのでしょうか?

余りにもデイダラは可哀想過ぎる…と思いませんか?

実は、エピソード中に、少なくとも「一人」は居た…と、僕は考えています。「デイダラは何故、大蛇丸を恨んでいたのか?」(アイデンティティ)でも書きましたが、それがサソリだと、僕は考えています。僕はサソリ(の行い)が大っ嫌いで、どうしても許せないキャラなのです。彼こそは、本当の(僕にとっての…)『悪』であると思っています。サソリは好きじゃないんで、考察がまとまらないかも知れないけど、詳しくは「サソリ」(「暁」の考察)にて語りましょう(汗)。書ければ…ですけどね。

何にせよ、デイダラは苦境の中であっても、素晴らしき素養と反骨精神を存分に発揮して、力強く生きて来たわけです。その生き様は「努力」そのものであったと思います。だから、デイダラは、熾烈な闘いの中にあっても、サスケの本質が理解できたんです。サスケと闘って散ってはしまいましたが、デイダラも最期にサスケみたいな、才能と素養を兼備した「傑物」と殺り合えて良かったんじゃないでしょうか?そして、その闘いに導いたのは、「暁」に勧誘され時のイタチとの対戦であったわけですが…。

「アレが芸術だと!?
そんなワケあるか!
認めねェ…認めねーぞ!!」


デイダラは本心ではイタチを認めていたのだと思います(39巻/188頁)。しかし、それを自分で納得してしまうと、自分の生い立ちからの(それこそ血の滲むような)苦労が水泡に帰してしまいそうで怖かったのです。デイダラはそれこそ、反骨精神の塊ですから、血に恵まれた存在に負ける事なんて許されなかったのです。だから、イタチに敗れ「暁」に入隊した後も、イタチとの再戦を夢見つつ、写輪眼対策と不断の努力を怠らなかったのです。

僕は、このデイダラの真摯な姿勢に激しい共感を覚えてなりません。

デイダラの自己認識としての「持たざる者」として、「恵まれざる者」として、弛まぬ「努力」して来たのですが、ここに大きな「穴」と言うか、勘違いがあって、デイダラは「持たざる者」でも、「恵まれざる者」でもなかったのだと、僕は確信しています。

デイダラには「努力」ができると言う立派で、光り輝くような「才能」があったではないですか!!ただ、それに、デイダラ自身が気付けなかった…だけなのです。もし、僕がデイダラの近くに居たら、全力で抱き締めて、誉め讃えてあげたのに…。

『君はこんなにも素晴らしいッ!!
眩いほどの才能に溢れた人なんだよッ!!』


人間は…子供も大人も、何も出来なくても、何の利益がなくても、何の理由がなくても、そこに居て良いのです。誰もが等しく生きる事を許容されているのです。生命とは、生きる事は、それ自体が素晴らしい事なのです。今度のテストで100点をとったら…とか、お手伝いをしたら…とか、良い子でいたら…とか、「条件付きの愛情」なんかクソ食らえ!です。人は何かできる(する)事に価値があるんではなくて、存在そのものに意味があるのです。存在自体が大切なのです。皆、生きていて良いのです。そこに居て良いのです。

子供は、只唯、抱き締めてあげれば良いのです。想いを込めた暖かき、その肱(かいな)で、強く、強く抱き締めてあげれば良いのです。例え、何ができるでなくとも、そこに居て良い事を教えて上げれば良いのです。デイダラにも、その気持ちを与えてあげたかった。「愛」とは無償なのだと…抱き締めてあげたかった…。

デイダラ……お疲れさまでした。
どうか…安らかに眠って下さい。

「ポップは死んだ!
オイラのはスーパーフラットだ
うん!」


サスケとの交戦が始まり、サスケの本質(実力)に逸早く気付いたデイダラは、そう言っています(39巻/159頁)。デイダラは、サスケにC1による攻撃を見切られ、押し込まれました。サスケは「ただ者」ではない。デイダラにはそれが判ったのでです。それを認めざるを得ないけど、決して認めはしない(笑)。そして、C2を出した時に、苦し紛れに、そう言ってしまったのです。デイダラは正直で無垢だから、黙っては居られなかったのです。認めてしまう訳にはいかないけど、せめて…言い訳だけはさせておくれと…(笑)。

その潔くない態度に準えて…「ポップアート」をワザワザ、「スーパーフラット」と言い換えるアイロニー。これは「呼称」や「マーケティング」(←こっちが"主"だと、あの方は思ってるんです!)と言った小手先を弄っただけで、美術的な要素は何も変わってないのに…と言う、「現代アート」に辛辣に刺さる『言葉の鎗』のような表現です。でも、シニカル(笑)な表現者として、黙っていられない「反論」を、捨て置けない「異論」を…デイダラに言わせた!!…言わせずには居られなかった!!

…何故なら……

デイダラは大学生時代の…若き日の…
キッシー・岸本大先生…そのものなのだァア!!



 

第378話「一対一…!!」 | BLOG TOP | 第377話「仙人モード!!」

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。