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第567話「木ノ葉の里の人柱力」④


「グォオオ!!」(トビ)

<シュシュシュ…>

<ババババッ>(テイルズ六道)


「おい…聞こえたかナルト?
声だ」
(キラ尾)

「……聞こえた…」(ナルト)

(あれは尾獣…五尾の声だ)<ズン>(八尾)

<ブワッ>「ウグ…」(五尾)

メッセージで教えてくれた人が居るんですが、クシナが九尾に対して用いた「鎖のチャクラ」でありますが、あれはうずまき一族にあっても希少な能力で、恐らく歴代の「木ノ葉の里の人柱力」が発揮できた異能だったのではないかと思います。つまり、トビは千手柱間以外にも、うずまき一族…うずまきミトかクシナの細胞すら搾取して我がモノとした可能性があるということです。おまけに写輪眼と輪廻眼。加えてナル×ジャンの捏造限界による白眼疑惑(外道の術の視野共有で解決するネタだけど、トビの中二的な側面を重視すれば…笑)。トビが「力」をパッチワークで寄せ集めた結果、自らのアイデンティティが解らなくなった末の「誰でもない男」であったなら、それこそ兄系の悲哀であろと合点がいきましょう。

自らを「うちはマダラ」と名乗り、事あるごとに「写輪眼」をひけらかし、長門に「輪廻眼を与えたのはオレだ!!」と小南に嘯き、「終末の谷」で千手柱間の「生きた細胞」を獲得した勝利者だと宣言して憚らない。そして、この行で五尾を制御する為に用いた「鎖のチャクラ」(=うずまき一族の希少なチャクラ)を見れば、トビが個々の能力を寄せ集めた「集合体」であり、最早それはアイデンティティを持ち得ない「形骸化した存在」との自虐に納得が行く訳です。その意味でトビはピュアな存在なんだと、僕は思うんです。兄系の真骨頂と申しましょうか、全ての価値観の頂点に「力」が在ると悟りを開き、父の信託を受けられなかった悲しき兄の末裔に相応(ふさわ)しい醜態なのだと思います。

ここで、端と同じ過ちを犯そうとしていた自分の無知さに気付くケルベロスです。ナルトは九尾のチャクラをぶんどって完全覚醒したと、僕は誤認しとりました。ナルトは「自分」を知り、九尾すら「自分」の一部なんだと理解し、人の中に渦巻く清濁を飲み干し…元服した…と。仙術チャクラの錬成で九尾をも凌駕する「力」を発揮し、八卦封印の鍵と六道の鳥居を用い、九尾からチャクラのみを強奪した。あの時、ナルトは「力」「力」を奪っただけなのです。それは意地汚く、恥も外聞もなく、自分すらなくしてトビが「力」を収集するのと同じじゃないか!!ナルトが恣(ほしいまま)にしたモノとは「九尾のチャクラ」だけではないか。そこに何かが足りない事に僕らは気付かなきゃならない…。

(オレ達尾獣にもちゃんと感情がある
ああいう扱いをされるのを見ると
腹が立つ…!痛ッ!………)<ズズーン>(八尾)

「ケッ!何を今さら…
ワシ達尾獣をペットにしてきた忍達が
ずっとやってきたことだ!
八尾…てめェとビーとかいうガキだけが
特別なだけだ!」
(九尾)

(………
フン…どうだかな九尾)(八尾)

「…!?え?
…九尾の奴八尾と話できんのか?」(ナルト)

(オレは分かってんぜ
…九尾……お前…)
(八尾)

「ごちゃごちゃうるせェ…!
仮にもてめーは尾の数から言っても
ワシの次に強い八尾だろ!
さっさとやっちまえ!

ワシは寝るとこだ!」<スッ>(九尾)

(尾の数で強い弱いを決めんじゃねーよ!
てめーは昔からそうだ!
だから一尾の狸に特に嫌われてんだ!

って聞いてんのかコノヤロー!
狐が狸寝入りしてんじゃねーぞコラ!!)(八尾)

<イラ><イラ>(九尾)

「………
八尾と九尾が…ケンカしてる……」
(ナルト)

<ヨウ>「尾獣同士はテレパシーで会話♪
それってレアだしすごいわ♪」<ヨウ>(八尾)

僕はトビをバカにしてたにも関わらず、ナルトの完全覚醒誤認にトビの過ちの持つ危うさに気付けずにいた。トビの「鎖のチャクラ」に服従を余儀なくする五尾が垂れ流す悲鳴。それを心の底から嫌悪する八尾。彼らの怒りが拠り所とするところに「心」がある事に、僕らは気付くべきなんだろう…僕はそれに猛省しているのです。僕は「六道仙人のトラップ」にハマった一人なんだけど、それを認識していながら、これに気付けなかった自分の浅はかさが許せないです。「力」「愛」であり、「愛」「力」であると。同じものを違うモノと誤認する万華鏡を僕らは見せられているのだと警鐘を鳴らした。にも関わらず、「愛」という字の中心に「心」があることに気付けずにいた………。

きっと、同じ様に戸惑うのが九尾なんだろうと思うんですね。うちはマダラが穢土転生で呼ばれ、興味本位で九尾を口寄せしようとしたマダラに、マダラのチャクラに九尾は激しい拒絶を示しました。それは九尾の「力」のみをマダラが望んだからです。ナルトが九尾のコントロールと称して九尾のチャクラを奪ったのも、実はそれに等しい。つまり、今のナルトはうちはマダラと何ら違わない訳だ。それでも九尾がナルトに加担してマダラの木遁を封じさせたのは、ナルトの「人間力」に対する期待なんだと思うんです。少なくともナルトは九尾をしっかり見ている。九尾だけじゃない全ての人を、しっかりと見ている。だから、誰もがナルトに期待し、人生すら変えられてしまうのです。それに八尾は気付いてる。

「さっきから何ブツブツ言ってんのナルト!
来るよ敵!オレが来たからって気抜くな!」
(カカシ)

<シュビッ>「オス」<あせ>(ナルト)

「どれがどのペインの術を使ってくるのか
まずは確認だガイ!」<バッ><バッ>(カカシ)

「人の顔を覚えるのが苦手なオレには
全部同じに見えるのだが…!!」(ガイ)

<ザザザザザ>(テイルズ六道)


<ゴッ>(雷切!!)(カカシ)

(八門遁甲 第六景門開!!)(ガイ)

ま…九尾のツンデレは今に始まった訳じゃないけれど、キラビが居て、それとツーカーの八尾が居て、カカシが居てガイが居る。それ見て九尾が悟りを開かない筈ないと、僕は思ってる。信じてる。少なくともカカシとガイが木ノ葉の英雄たるナルトの助力に参じたのは、ナルトの覚醒に足りない要素があると認識してるからだと、僕は思うんですね。そうじゃなきゃ、全部ナルトに任せて、他の生産的な行動を優先させますって。ガイは八門遁甲の第六景門を開き、カカシは伝家の宝刀・雷切で尾獣Ver.2に果敢に挑んでいます。これは命懸けの戦いです。二人は命を懸けてナルトに「何か」を教えようとしてる訳だ。そして、それが「心」なんだと、僕らは既に気付いてる…否…気付かなきゃなんない!!

「力」「愛」。それはもう感じ方の違いです。人が何かを感じる。その土台には「心」がある。僕らはそれを認識出来るステージに既に居る筈です。十数年間に渡って積み上げられた…『NARUTO -ナルト-』という叡智を、僕らは味わってるんだから。その意味で、この戦いは「心を宿すもの」と心を宿せず「形骸化」してしまったものとの戦いであるとも言えましょう。カカシとガイはナルトの親の如き存在です。二人は親の役割を果たそうとこの場に居るのです。「人」「形」だけだと「人形」になってしまいます。ピノキオが大冒険の果て「人間」になれたのは「心」を得たからです。カカシとガイはナルトにその「正体」が何かをを気付かせる為にここに居る。それは正に「親の役目」なのだと、僕には思えてならんのだ…。

「G」はGood jobの「G」(暗号)…今日はここまで…続く…zzzzz

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