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第569話「意志の証明!!」①

 

「じゃあ
その止める方法ってのを教えてくれ!!」(ナルト)

「…その前に一つ言っとくが」(孫)

「?」(ナルト)

「オレは基本
人柱力の人間を信用しないことにしてる…
…尾獣とお友達になりたいなんて言うバカは
なおさらな…つまり…

オレ様をお前が助けたとしても
お前の味方になるなんて思うなよ


信用されたきゃ…」(孫)

「今はそれでいい…!
どうすりゃいいかは
オレもだいたい分かってっから!」
(ナルト)

<ニシシ>(ナルト)

「人たらし」という言葉があります。人を誑(たら)す人の事ですが、これが「女たらし」だとちょっと詐欺的な悪い意味になるけれど、「人たらし」とは性的な欲求が薄いからか良い意味に使われる事が多いと思います。政治家に必要な素養だったりします。それがナルトにはあると思う。ナルトは「太陽」の様だと、僕は思っています。かつて香燐が感じたナルトのチャクラがそうだった様に凄く暖かい。それはナルトの「人となり」を表してるんだと、僕は考えています。香燐はサスケのチャクラを「冷たい」と評価してましたが、精神年ルギーと身体エネルギーを経絡系で練り込んで発生するチャクラとは、凡そその人を表しているとするのも理に適った考え方なのではないでしょうか。

僕は九尾・九喇嘛ツンデレでデレ傾向であると警鐘を鳴らしているのは、ナルトが九尾チャクラモードでナルトと九尾のチャクラを交換する関係にあったからで…途中から九喇嘛はナルトのチャクラを奪わなくなりましたが、九尾のコントロールでナルトにチャクラを奪われたシワシワ状態からピチピチに復帰した後ですんで散々ナルトのチャクラを喰らった筈です…先に書いた様にチャクラがその人…即ち「人となり」を表す様な物質、或いはエネルギーだったならば、太陽の様に暖かいナルトのチャクラを喰らった九喇嘛はどうなっちゃうんだろ…と、僕は考えるのです。サスケに「笑顔」を探した香燐…その傷心を一瞬癒したナルトのチャクラの味はどんなだったろうと。そこに九尾の変節への期待が在る。

九尾の表情が豊かになったとは思いませんか?時に微笑んでいる様に見えませんか?九喇嘛はナルトの暖かいチャクラをぶん取った。それによってシワシワでガリガリの状態から、今のプリプリでピチピチの状態に戻った訳で、ナルトが九尾のコントロールの直後から戦場に投入され、それと時を同じくして九尾チャクラモードでは禁忌とされる影分身を発動して獅子奮迅の活躍をしたお陰で、九尾が自力でチャクラを練り込んで自らを修復する機会をほぼ得られなかった…裏を返せば九尾がナルトのチャクラのみで現状復帰した状況は、ナルトと九喇嘛のチャクラ交換の効率を飛躍的に高めたのではないかと思います。つまり、九喇嘛は急速にナルト化し、ナルトは九尾化したんじゃないかと、僕は考えています。

しかし、ナルトがあからさまに九尾の邪悪な雰囲気を漂わせないのは、既にナルトの中には色とりどりの感情というものが存在し、それが美しく清らかなものばかりではない事をナルトは受け容れているから九尾の憎しみがどんな勢いで流れ込もうとも乱れない盤石さがあるからです。対して憎しみのみで構成された九喇嘛が、それとは真逆の優しさや思いやりといった知性理性が大量に押し寄せたらそりゃ感化されます罠というお話です(笑)。そう考えると、「九尾事件」でミナトが屍鬼封尽を用い、自分の命と引き換えにして「九尾の陰のチャクラ」を連れ去ったのは、将来、ナルトと九喇嘛がチャクラの交換をする事を想定した準備だったと思え、ミナトが九尾に「憎しみ」だけを意図的に残した想いに震えます。

それは今まさに生まれた我が子に対する自信みたいなものだったのかな…と思うんです。僕とクシナも子だから、優しくて(ミナト)強い(クシナ)筈だと!!!親バカって「愛」ですよ。結果とか全く関係なくて、最高の評価を与えるんだから。ただ居てくれだけで良い。生まれてくれただけで幸せ。ここに居てくれてありがとう!!それって「愛」ですよね…って話ですよ。ま…その「愛」にナルトはしっかりと応え、自分と向き合い、九尾という「憎しみ」を受容したんだけど、その奥にミナトが九尾を「憎しみの塊」に加工した行程が在るのが果てしなく意味深であります。ちょっと脱線気味ではありますが、できるミナトの子であるナルトもまたできる子なのだと言いたい訳。<ニシシ>と僕も笑いたい気分。

(ナルト…ワシはずっと
お前のしてきたことを見てきた

…だからお前も分かってるハズだ

お前がワシに…ワシ達尾獣に
何を語ろうとも無意味

本心は伝わって来ん)(九尾・九喇嘛)

<パチ>(ナルト)

何だか九喇嘛がうちの相方に似てるなー…と目を細めながら穏やかな九尾の横顔を見ていました(笑)。九尾が「ずっとお前のしてきたことを見てきた」というセリフの重みが分かるのはこのお話の後半部分で嫌と言うほど分かるので置いといて、ここでふと九喇嘛に感情移入したくなったのは、そう言えば九喇嘛も「うずまきナルト物語」の読者だったと気付いてしまったからです。だって九喇嘛が自分で言っちゃうんだもの(笑)。ナルトはこれまで数限りない死線を潜り抜けました。恐らく、それを一番間近で観戦してたのはミナトとクシナのチャクラであり、九喇嘛だった筈です。一読者としてここまで惚れてしまった僕以上に九喇嘛はナルトに恋してるんじゃないかと、僕には確信めいたものがあるんだな。

ぶっちゃけ、九尾は既にナルトに期待しています。だから、前以上にナルトをしっかり見ています。その下地を作ったのは危険過ぎる九尾チャクラモードでの影分身であり、もっと言うと、九尾のコントロールからの早過ぎる宣戦への投入であり、もっと言うと、九尾を「憎しみの塊」に加工したミナトの慮(おもんばか)りでありましょう。あんまりシツコイと嫌われちゃうのでこの辺にしときますが、九尾の変節というものがナルトの「人となり」そのものである(と言っても過言ではない)ナルトのチャクラによって成ったのも、早い話がちゃんと仕組まれてた(というと聞こえが悪いけど)からで、忘れちゃいけないのがナルトは四代目火影・波風ミナトとうずまき一族の末裔たるうずまきクシナの子だって事ね。

しかも、クシナはうずまき一族でも希少な鎖のチャクラを持ってて、尾獣の器になり得る強い肉体の持ち主でした。ミナトだって三忍・自来也が「もしも我が子だったら…」と親バカ志願する程の逸材。何が言いたいのかというと、ナルトはサラブレッド中のサラブレッドだった…ちゅー事に目を向けて欲しいんです。誰しもナルトと同じ様には行かない。その現実を認識しない状況を世間一般では「中二病」と呼びます(笑)。一度患うとなかなか完治しないので注意してください(←ケルベロス…お前もな!!)そんなできる子=ナルトに九喇嘛は多大なる関心と期待を抱いてまして、ナルトに本心を伝えろ…と、その目を爛々と輝かせてナルトを凝視しているのです。まるで、恋する乙女みたいに。

そんな中、ナルトが<パチ>っと目を覚まします。四尾の口の中に居たのね。ここで気を失って尾獣化した四尾の本体と交信してた訳だ。僕は四尾のチャクラの本体は外道魔像の中に在ると考えてたんだけど、どうも穢土転生で召還したテイルズの中に居るみたいです。また、尾獣化=人柱変化も、人柱力の肉体が尾獣のチャクラを纏って着ぐるみみたいに尾獣を再現するのかしらんと考えてたけど、尾獣のチャクラが人柱力の肉体を巨大化させて尾獣を象るようです。その意味で「陽遁」の応用であり、弟系の「仙人の肉体」が大きく関係してそうで、うずまき一族の中でも希少な才能を持つ、ミトさんやクシナが選抜された経緯からも、人柱力のシステムが弟系からの尾獣に対するアプローチであった事が判りますね。

<スウー…>(トビ)

「捕らえたぞ…九尾
このまま四尾ごとオレの中に
引きずり込んでやる」(トビ)

<チリ><チリ>

<ズズズズズ>

<グググ>「口開けろ!
ナルト出ろ!!」(キラ尾)

<ズズズ…>

「ヌグググググググググ」(ナルト)

<フッ>「開かねェ~!
やっぱこのままじゃ無理か…!

………」(ナルト)

<んー~…>(え~と…
え~とオレを吐かせればいいんだから…

吐く→食べ過ぎ)(ナルト)


(多重影分身の術!!!)(ナルト)

<ブクウ>「!!」(四尾)

「ウッ…」(四尾)


「!?」(トビ)

「ヴェロロロロ!!」<ドババ>(四尾)

<ドザザザザ>

<ボン>「うわっ!!」(ナルト)

「ぐあっ!!」<ボン>(ナルト)

「思った以上にナルト出る♪
なかなかやりやがる♪」
(キラ尾)

トビの尾獣のコントロール法の考察は少し後に譲るとしまして、キラビと八尾のコンビについて少し考えてみましょう。ところで、キラービーをナル×ジャンで「キラビ」と呼ぶのは、彼のラップに対するリスペクトがありまして、こんだけ八尾と仲良しのキラービーでありますれば、ナル×ジャンでは敢えて八尾の「ハチビ」の「ビ」と韻を踏んで「キラビ」と呼ばせて貰ってる次第です。そもそも登場以来、やられキャラ上等と思われてましたが、ナル×ジャンでは新橋のガード下で一緒に飲みたいキャラナンバーワンとして応援してましたっけ(笑)。雲隠れの一件でヤンチャな”鷹”を手玉に取りつつも、サスケの才能に逸早く気付くキラビの抜群の理解力に光るものを感じ、彼がタコ足の中から再登場した時には歓喜しましたね。

それでキラビが八尾と協力して戦う様に、これぞ人柱力!!と感じ入り、お互いのチャクラをただ奪い奪われる危険な関係ではなく、相互に理解し合い助け合う関係性こそ人柱力とその中に棲む尾獣の在るべき姿を教えられるようでした。じゃ九尾のコントロールで九尾をフルボッコにして九尾のチャクラのみを奪い、必要時それを使用する「九尾チャクラモード」をナルトに会得させたキラビの行いは何だったのかと疑問に思えますが、やはり教えられるのはそこまでと引かれた「一線」だったのかも知れません。それはきっと、「そこは気付こうよ」とする親心で、キラビが八尾と協力して人柱変化し八尾・完全体に変化して戦う力が敵・尾獣を倒す為でなくナルトを救出する方向に向く姿にその本意を感じてなりません。

細かい話で恐縮ですが、人柱変化したキラビが八尾の姿で話すセリフって三種類あると思うんです。一つは八尾の言葉。明らかに八尾が喋ってる言葉がありまして、九喇嘛と交渉したりしてますよね。もう一つはキラビの言葉。これはラップで韻を踏んでるんで直ぐに分かりますね。主にナルトに向かう気持ちが表れています。そして三つ目がキラビと八尾の気持ちが合わさったセリフで、韻を踏みつつ、八尾が持つ落ち着きとか知識が混ざっています。凄く微妙でアレなんですが、ナル×ジャンではそれを「キラ尾」という名前で示そうと思っています。少し前の記述からそうしてるので気付いてる人も多いかと思います。これは人柱力とその中に棲む尾獣の関係性を考える上で非常に重要な考え方だと思います。

『NARUTO -ナルト-』の味わいの一側面として「アイデンティティ論」が在るかと思います。ナル×ジャンが勝手に騒いでるだけかも知れませんが、少年少女が発展途上の中で「個」を強く意識し、「個」が他の「個」を認める自己中心でない「自己」を確立して行く方法論をいろんなキャラを用いて紹介している側面を『NARUTO -ナルト-』は持ってると思うんですね。そして、人柱力とは盤石の自己によって尾獣を受容する「個」の完成形を目指すカテゴリーであると認識していますが、それが人柱変化において人と尾獣が混ざり合うような傾向があるところに違和感を感じました。ここからちょっとモゴモゴして書けなくなっちゃうんだけど、ここでは一旦、「キラ尾」の考え方を受け容れてください。

その先に、『NARUTO -ナルト-』の主人公であるナルトに何で九尾が封印されねば成らんかったのか?そして、その有り様を真の覚醒へと導く為に何で「キラ尾」が奔走しているのかに対する答えがあります。最近、書かねば書かねばと思いつつ、書けないでいるのは、お話の結びがそのまま『NARUTO -ナルト-』の最終頁に繋がるような内容ばかりで書いちゃって書きたくても書けない状況が多くなって参りましった。それは『NARUTO -ナルト-』をいう作品がいろんな要素が複合していて同時進行してそれぞれテンパイを迎えつつある状況にあることを示しています。ちなみにナル×ジャンのカテゴリーで言うと「キラ尾」の説明は「終末の谷の決闘」の結びに直結します。だからモゴモゴしてる。お許しください。

<ムク…>(ナルト)

(いいか!
オレの首元をよく見るんだ!)(ナルト)

(杭が刺さってるハズだ
そこからチャクラの鎖が出てオレ達を縛る
これは輪廻眼外道の使う魔像の鎖だ…)(孫)

(胸じゃねーのか?
人柱力ン時は胸にあったってばよ!)(ナルト)

(尾獣化ででかくなってる分
人柱力の刺さってた場所から
少しズレて首元に移動しちまう!
それにでかくなった分
見つけにくいぞ)(孫)

「往生際の悪い奴だ」(トビ)

<スウ……>(とにかくその杭を抜け

そうすりゃチャクラの鎖は
出てこなくなる!)<チリ><チリ>(孫)

<チリ><チリ>

「ムムッ」(ナルト)

「見つけた!
アレだってばよ!!」(ナルト)

(それで中にいるオレを
今縛ってる鎖も連動して消えるハズだ!

カンタンじゃねーぞ!!
オレは操られてて攻撃を
止められねェ!)<ズン>(孫)

<ザッ>(ナルト)

(分かってる
その分手荒くなっちまうかもしんねーけど
ガマンしてくれってばよ!)(ナルト)

(勢い余って殺してくれるなよ!)(孫)

ナルトが多重影分身の術で四尾からまんまと脱出した後、孫…人柱変化した四尾の中に居る四尾のチャクラの本体を「孫」と呼んで区別しています。これは「個」を重視した結果でありまして、同じ様に九尾は九喇嘛(クラマ)となります。「アイデンティティ論」を論ずる以上必須の区別だと考えますのでややこしいですがご了承願います…と擦り合せたトビの忌々しい尾獣コントロールの解き方を思い出します。ナルトがキラビの手引きで九尾のコントロールに挑んだ時と凄く似ていますね。孫が示すナルトへの好意が感じられる描写であるとも思います。何でも穢土転生のテイルズを人柱力に仕立てるのが胸に刺さった「黒い杭」とのことで、それがそのまま尾獣のチャクラの結界空間と通じてるようです。

僕はトビの狡猾な人となりからして、尾獣を外道魔像から出す事はないと考えてたんだけど、孫の証言を重く見るならば孫の本体はテイルズ老紫の中に在ると考えるべきだと思います。それをトビは「輪廻眼・外道」の「魔像の鎖」でコントロールしているようです。尾獣化して首の方に移動した「魔像の杭」から「魔像の鎖」が出て四尾を縛ります。これは五尾を抑え込んだものと同じでしょう。僕はそれが「九尾事件」でクシナが使った「鎖のチャクラ」と似てたので、トビがうずまきクシナの細胞も培養して自分に搭載してるんじゃないかと疑いましたが、それが「魔像の鎖」との提示があった以上、うずまき一族の赤い髪を継ぐクシナが持つ希少なチャクラ特性が「魔像の鎖」と同質のチャクラだったと考えるべきでしょう。

これは六道仙人が「兄」「弟」を創ったところに遡(さかのぼ)って展開する必要があるので端折りますが、ザックリ表現すると六道仙人は十尾の人柱力となった事によって得た能力を分割して後世に託したんだと思います。恐らく、外道魔像も六道仙人が創造したアイテムの一つでしょう。六道仙人は何でも分割して残すのが好きなところがある人なので、もしかしたら十尾を陰陽分離して十尾のチャクラを九分割した尾獣のチャクラを再度集結する為の器として残したんじゃないでしょうか。それを管理する能力が「輪廻眼・外道」にはあり、トビは何らかの手法に拠って「外道の能力」を獲得したんではないかと思います。というかトビは「外道の能力」しか使っていないように思われます。

もっと言うと使えないのかも知れません。もしトビが真に輪廻眼を使えて「外道」のみならず「六道の力」を使えるなら「テイルズ六道」なんてなくても戦況を一変させられると思うんです。うちはマダラが示す様に単騎で胸を張って戦えば良い筈。トビは未だに”須佐能呼”も出してませんし。いろんな「力」をパッチワークで集めているトビですが、何か足りない…。足りないものが何なのか?はもう既に皆さんも気付いてと思います。トビが写輪眼に固執し、うちはの眼だけを集めた姿に、言い知れない孤独を感じます。その背中は自ら他者との繋がりを拒絶しているようでした。トビがダンゾウを「できそこないの六道」と吐き捨てたのも大部分、近親憎悪みたいなものが支配してたんじゃないかとも感じています。

世界を向こうにまわして”暁”は善戦してると思います。一時、弥彦天道が「世界征服!!」と拳を握りしめる姿に「中二病」の認定を下させて頂いた事もありましたが、”暁”がここまでできるなら強ち「中二病」とも言い難いです。それでもトビの存在がここまで滑稽に感じられるのは、ナルトとの対比が鮮明過ぎるからでしょう。そして、それと似た様な感情を孫と九喇嘛が抱いている事実。それらがナルトに対する「期待」として昇華している描写が、真綿で首を絞める様にジワジワと僕らのバイタルに影響している(笑)。『NARUTO -ナルト-』とは、キッ神とはそういう伝え方をするのです。そのスパンが最長で十年。十年も前戯喰らってメロメロにされちゃったという寸法です。僕らはキッ神に誑(たら)された訳。

分かります?それが「人たらし」たるナルトと、「うずまきナルト」という魅力的なキャラを創造したキッ神の陰陽遁・万物創造なのだ。キッ神はこの作品を通して「力」のみを崇拝し収集する愚かしさを説き、人が生きる為に何が本当に必要なのかを示唆しているんです。しかし、これまで散々説明してように教えられるんではなく気付いて貰いたいからこその前戯である事に注目すれば、そこに在る並々ならぬ「親心」に気付くでしょう。キッ神は『NARUTO -ナルト-』における六道仙人であり、物語の中に登場する「親」でもありましょう。その慮(おもんばか)りを少しでも皆さんに紹介したいと老婆心を発するのがナル×ジャンであります。もしも、この記述をキッ神が読んだら笑うと思うんですよ…多分…絶対

<ニシシ>って…(笑)。続きまーす!!

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