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第570話「九喇嘛!!」③

 
<ゼェ><ハァ>「………!」(ナルト)

「…ヤバいぞどう見ても
そのくせヘロヘロじゃねーか」(九喇嘛)

四尾をその言葉の通り止めたものの、疲労困憊の態のナルトが、何だかキッ神みたいだと、僕は感じています。週刊ベースでここまでの作品を生み出すプレッシャーとは如何なるものなのか?それを想像すると雑巾を絞る様に胃が捩れそうです(笑)。僕なんかがこんな場末で細々と書くのとはそれこそ次元が違う。書けない時はごめんなさいとか、風邪引きましたなんて言えない…それがプロフェッショナルなんですが、それにしてもキッ神の責任感とは想像を絶するばかりで、そんなキッ神が弱音を吐かず、ヘロヘロのヨレヨレになりながらも前を向くナルトと重なります。こういう素晴らしい作品に、こうして皆さんと同じ時期に出会えた幸運に僕は心から感謝したいです。その想いがナル×ジャンのベースにあります。

最初は何気なくパラパラと頁を捲る単なる通りすがりだった僕ですが、次第に物語の中に引き込まれて行く…やだッ面白い☆!!写輪眼って何?九尾のチャクラか…。自来也死ぬなーッ!!ペインの糞ヤローッ!!サスケどうなっちまうんだよ!?イタチ死ぬなーッ!!死ぬもんか!!死んでなんかいないいないッ!!トビ、お前消えろッ(ホントに消えちゃう)…ミナトキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!クシナキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!……僕は皆さんと変わらない一読者です。普通のオッチャンです。ちょっと口うるさい所は在りますが(汗)。そして、皆さんと同じ様に『NARUTO -ナルト-』という作品に誑(たら)された一人であります。今もナルトのヘロヘロヨレヨレの<ゼェ><ハァ>キュン♡となってる(笑)。

きっとそれは九喇嘛も同じ気持ちだったのだと、誑された僕(ら…でヨカですか?)だから解る。解るのよ。ここら辺から九喇嘛がツンデレを爆発させてデレデレに移行していくんです。そこはかとなくむず痒い。まさか九尾が!!と思うなかれ。九喇嘛こそ最前列で(”デベソ”に…文字通り”デベソ”に)かぶりついて「うずまきナルト物語」を見てたんです。僕らが誑(たら)されたように九喇嘛も誑された。それは突飛な事ではない。九喇嘛が「八卦の封印式」越しにナルトににじり寄る。その気持ち…僕には痛い程解る。九喇嘛はナルトが好きなんだ…と。時に九喇嘛が「恋する乙女」に見えますし、もしかして九喇嘛…受け!?とすら疑いが持ち上がるケルベロスって壊れてますかね(笑)。

<ハァ>「まぁ…みてろよ……」<ゼェ>(ナルト)

「力を貸してほしけりゃ
そうしてやらんでもないぞ…ナルト」
(九喇嘛)

<ハァ>「………」<ハァ>(ナルト)

<ハァ>「最近はよく話しかけてくる
ようになったじゃねーの」
<ハァ>(ナルト)

僕は「人柱力のシステム」を考案した六道仙人の事をここ暫く考えていて、それは書く書く(詐欺?)の「うちはの石碑」(結)と重なるんだけど…彼は「忍の親」だと思うんです。どこでどう間違ったのか、それとも狙ったのか、彼は自分が持ってるものをバラバラにして世界に鏤めるんです。その中に尾獣と、それとセットで「人柱力のシステム」が、ま…あります。ミナトは「九尾事件」において生まれたばかりの我が子に九尾を「八卦封印」したんです。それが『NARUTO -ナルト-』の全ての始まりでもあります。自来也がナルトと出会った温泉場でしたのは「八卦の封印式」の解読であり、その中にナルトを守る「愛」を見出し震えた。自来也の心の細動が伝わり、僕の中で増幅した…胸熱の想い出です。

当初、「八卦の封印式」は九尾のチャクラを完璧に綴じ込め、安全弁的に漏れ出す許容の幅を持たせた構造で、防壁から漏れ出すチャクラはナルトのチャクラと還元される仕組みでした。それは危険な九尾のチャクラとナルトを馴染ませる為の配慮と言えるでしょう。そして、ナルトはヤマトという擬似的な親に出会う。それは六道仙人の血がある程度希釈された、悩みや戸惑いといった揺らぎを合わせ持つ人造の親でした。四本目。ヤマトはナルトの九尾のチャクラに耐える「強いチャクラ」を見出し震えるのです。そして、それを溢れんばかりの親心を持ってナルトに伝えるのです。ミナト→自来也→ヤマト…と、ナルトの親…父親はリニアに繋がって行く。実に美しい繋がりが在りますね。

そして、「九尾のコントロール」の正念場で、ナルトはキラビに出会います。そして、その導きによりナルトは九尾からチャクラを引き剥がし我がものとする訳です。それが「九尾チャクラモード」であります。僕はこれをしてナルトの完成と思いました…が、それが未だ過渡である事を直ぐに思い知らされる。それが「今」であります。ナルトは生まれてこの方、16~7年の歳月をかけて九尾のチャクラに慣らされ、「九尾チャクラモード」に辿り着き、そこで均(なら)されたのです。ナルトが九尾のチャクラを使う間、九尾はナルトのチャクラを喰らう。その関係性がナルトと九喇嘛の距離を縮めたのです。恐らく、この一連の過程こそ「人柱力のシステム」を残した六道仙人の親心なんだと思います。

「人生」って、「誰か」じゃなくて「自分」なんだと、僕は思ってるんです。結局、生きるのって孤独です。でも人は決して「一人」じゃない。それは「心」という目に見えない「力」で繋がれるからであります。それが「人」であり、「人生」でありましょう。ナルトを導いたもの…それは「親の愛」つまり「親心」以外の何ものでもない。それが生む細動が今こうして九尾・九喇嘛の「心」すら大きく揺さぶる。その途方もないエネルギーに僕らは守られ生かされている。それに気付けなきゃ「不孝」だよ。僕らは「愛」の中に居る生き物なんだよ。「今」こうなれたのは確かにナルトが頑張ったからなんだけど、それだけじゃない。沢山の「愛」がナルトを生かした。この事実がこれから結実して行く。それをしっかりと感じて欲しいです。

「力を貸してくれんのはうれしいけどよ…
その前にお前にキチンと言っとかなくあなんねェ」(ナルト)

「?」(九喇嘛)

「向こうのマダラん時はサンキューな…力をくれて
アレ…助かった!」<ペコリ>(ナルト)

「!!」(九喇嘛)

「礼なんかするな気持ち悪りィ!!
ありゃマダラよりお前の方がマシだと思って
そうしただけだ!

そもそもこの檻のせいで
チャクラをやれたのは雀の涙ほどだろ!
今回はお前の戦いをもう少し
見ていたくなっただけだ!

そう……ヒマつぶしだ!」(九喇嘛)

<カッ>「お礼したのに何で怒ってんだってばよ!!
その目つきは直らなくてもまずそゆーとこ
直していかねーからいつまでたっても」
(ナルト)

SNLSore・Nannte・Lovecome…それなんてラブコメ…と、僕はむず痒いです。九喇嘛の乙女チックなツンデレは九喇嘛が10年後くらいに『NARUTO -ナルト-』の単行本を読んだら手首にカミソリ(それヤンデレ)…おっと…赤面して「ヤメテーッ!!」って叫ぶと思います(笑)。そのくらい九喇嘛はナルトに首っ丈で、やだ可愛い☆!!ですね。九尾が瓦解し、ナルトに擦り寄る。そのタイミングを九喇嘛が欲し引き寄せていた。コイ来いと待ち望んでいた。九喇嘛がナルトにのめり込んでいる時に、ナルトが頭下げたり、礼を言ったりするもんだから、九喇嘛の気持ちが脱線してしまう。それが九喇嘛の多弁だったり言い訳がましいシャベリなのです。これは「告白」に近い。やだッ!!九喇嘛☆!!

ま…ナルトも<ペコリ>はな…と、チクリと思ってるんです。だから、その反動が<カッ>と九喇嘛に向く。辛うじて残った薄皮一枚。それが二人が同期して出す棘によって破れ、迸(ほとばし)る気持ちがある。情がある。それは「心」が繋がる瞬間でもある。ナルトの気持ちを、ナルトという人間性を九喇嘛が受け容れたんですね。素直になれないけどなってやる…それこそ”SNL”(それなんてラブコメ)であります(笑)。二人は完全に繋がりました。だから、ここからは交渉ではなく相談になるのです。これまで九尾がナルトを唆し「力」を与えたのと違う。これからはナルトと九喇嘛が相談して、ナルトと九喇嘛が「力」を練ることになる。これこそ「水魚の交わり」であろうかと思います。

キラビの人柱変化が”鷹”を振るわせた行で、水月(水月は大蛇丸のスパイじゃないかと、僕は考えてるんだけど、それが”鷹”の中で感化されたフシが窺える興味深いお話でした)が身を挺(てい)して”鷹”を庇(かば)いました。それをして文人・重吾が漏らした故事成語こそ「水魚の交わり」でありまして、「水魚の如し」とも言いますが、水がないと魚が生きてゆけない…そのくらい大切な「仲」を指します。ナル×ジャンは捻くれものなので「水だって魚が恋しいんだよ!!」と反論しますが(笑)、兎に角、人は独りだけど一人じゃない。僕らが「暖かい孤独」の中に居るんだよ…という意味なんだと、僕は思ってる訳だ。そして、その言葉の通り、ナルトと九喇嘛は交わる…もうこれは「濡れ場」だと思って差し支えなし(汗)。


「!?」(ナルト)

<スッ>「お前とワシのチャクラをくっつけろ…」(九喇嘛)

「…………
………
まさかまた…
チャクラの綱引きかよ…!?」(ナルト)

「バカ
今回はやらなくてもいいんだよ!
まぁ…こっちはヒマだからな…
また綱引きやってもいいんだぞ!!」(九喇嘛)

「………」(ナルト)

<トン>(ナルト)

「!!」(ナルト)

「へへへ…」(ナルト)

「フン」(九喇嘛)

つまるところ、「チャクラ」とは「心」なんだと、僕は思います。いやいや、「チャクラ」とは「力」だよ…そう思ってしまうのが兄系なんだけど、そうしちゃったのは六道仙人なんだよね。サスケが今はまってる「闇」はまさにそれですね。しかし、ここで六道仙人が遺した「親心」の数々を思い起すと、そこに「恣意」を感じます。解りますか?!それが六道仙人が兄系に…ザザザザ…ザザッ…おっといけねー…「うちはの石碑」(結)で書く事がなくなってしまう(汗)。ここは九喇嘛の可愛らしい横顔に免じて沈黙をお許しください。九喇嘛は笑いましたね。こんな風に笑える子になったんですね。それはやはりナルトの「チャクラ」のお陰…つまり「心」の成した偉業なのです。特に少年少女は、ここ忘れないで!!

ナルトは九喇嘛と「拳」を合わせて九喇嘛の「心」が解ったんですね。だから「へへへ…」となる。九喇嘛が「フン」となるのはナルトに自分の「心」が伝わってしまったのが解ったからなんです。そして、偽りのないナルトの「心」も九喇嘛にも伝わった。二人は繋がったんです。そういえば「終止符」という素晴らしい楽曲がありました。「心も体も開きあいそこからはじまるものもある♪それを愛とは言わないけれど♪それを愛とは言えないけれど♪」という一節を思い出しました。僕はアルファベッドにあるようにABCDEFG・H・I…「H」の次に「I」があると言って叱られた人なんでアレですが、それを「愛」と言っても良いかな…と、これには賛否ありましょうが…正直そういう風に思っています(汗)。

お話が外宇宙の方に行って申し訳ありませんが、何故だか脳内に「終止符」が流れます(笑)。かつて「閃光万雷」という素晴らしきサイト様がございまして、そこの管理人でいらっしゃいましたWILLIAM様「眼光紙背」という言葉をしてナル×ジャンを紹介して頂きました不遜ながらも光栄な記憶が僕にはあります。それが「いくら書いても埋め尽くせない♪白紙の行がそこにある♪」というものなのかと、走馬灯の様に浮かんで来まして、今さらながら胸熱であります。ま…僕もホントに細々とながら活動を続けております。何だかナルトと九喇嘛の「濡れ場」に接し、昔の事を思い出してしまいました。多分に自分酔いですけど、ちょっとこの「水」(ホントに足元が水に浸ってる…)に交わって頂けますか?

僕は皆さんが居ないと困りますので…(続く)



「終止符」 アリス



左ききのあなたの手紙
右手でなぞって真似てみる
いくら書いても埋めつくせない
白紙の行がそこにある


友情なんて呼べるほど
きれいごとで済むような
男と女じゃないことなど
うすうす感じていたけれど

あの夏の日が なかったら
楽しい日々が 続いたのに
今年の秋は いつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして


 

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