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第573話「輝きへと続く道」①

 
「難しい……名前だと?
それが何だというのだ?」(トビ)

「ハァ~ン…
お前は知らね~んだな!?
」(ナルト)

「!?」(トビ)

「ヘッ!」<ズズ>(八尾)

<ベー>「教えてやんない―

よっ!!」
(ナルト)

<ズン>(八尾)

「難しい名前」でトビがいきなりチンプンカンプンになるのを見て、ナルトはトビが尾獣の名前を知らない事を見破ります。尾獣は十尾のチャクラを分割して創造された新たなる生命体です。その膨大で凶悪なチャクラに注目すれば最強のチャクラ兵器になる…外道魔像を介した尾獣のコントロールとは凡そ生命としての尾獣を無視、或いは陵辱する扱いと言えるでしょう。テイルズの運用で、トビの粗雑にして”ぞんざい”な扱い方に嫌悪感を示した五尾・穆王(こくおう)が悔しがり、それでも尚、トビは「魔像の鎖」で組み伏せていました。そこには一欠片の罪悪感も在りませんでした。そして今度は、ナルトの言う事がトビには染み込まない。トビが明らかに「心」を意識していない描写に大きな違和感を感じます。

トビは長門やサスケの「心」を弄くり回してコントロールしてたんではないのか?時にシドニィシェルダン並みの超長期的なシナリオで選択肢を一つずつ潰しながら自分の思い通りの道を歩ませたトビと、今ここで外道魔像を擁して尾獣を蹂躙するトビが同じキャラとは、僕には思えんのです。長門が味わった「痛み」をもっと大きな「痛み」中和できると唆(そそのか)したのはトビだと思うんです。そして、それを真に受けて長門が考案したのが「ペイン(=痛み)六道」という忍術だった。長門の優しいところは、その「痛み」をチャラにする「外道」を準備してたところなんですが、真っすぐ過ぎて<ポキッ>っと折れてしまったのが長門で、トビはそれを見抜き巧みに利用したと、僕には思えるんです。

サスケにしても、イタチがどんな想いでサスケを残したのかを、虚実を織り交ぜてサスケに吹き込み、最終的にイタチを殺めてしまったサスケの罪悪感を木ノ葉隠れの里に対する攻撃性へと、トビは転化させたのだと思います。しかも、サスケが後戻りできない様に「五影会談」へも強襲させビンゴブックに載る「札付き」に仕立てました。そこで示されたトビのプロデュース能力が純粋にトビの能力であるなら、トビは間違いなく「心」というものを理解していなければならないと、僕は思います。しかし、ナルトが吐く「難しい名前」が今ここに居るトビには染み込まない。もしかしたら、「万華鏡の儀式」のトビと、テイルズ六道を操るトビは別人ではないのか?そうじゃなきゃ繋がらない…と、僕は考えています。

<ゴゴゴゴゴゴゴ>

「ナルトが
これほど成長したのを
目の当たりにすると
……自分がずいぶんと
老いぼれに感じるな」(ガイ)

「…どうしたの?
いつものお前らしくないじゃない…!

オレが言うのも何だけど…
オレ達の青春もまだ終わっちゃいないって
ことでいかないか?」(カカシ)

「…オレ達はここへ来てまだ……」(カカシ)

「それ以上言うな!
余計むなしくなる!」
(ガイ)

「それでこそガイだ」(カカシ)

一方、目の前に居るナルトが想像を超える成長を示すが故に、自分を見失いそうになっているガイ(笑)。確かにはとバスツアーよろしく”尾獣モード”に乗り込んで、守りにきたナルトに逆に守られてしまった自分の不甲斐なさは現実逃避したくなるレベルでしょう。しかし、カカシは冷静にナルトの疲弊を見抜き、自分達がここに居る意味を思い出す「間」をガイに与えています。やはり、カカシはガイの「心」をよく理解できています。いつもならガイが言ってた事をガイに成り代わり告げる。それが自信を失い、自分を失いかけたガイの「心」を鼓舞するのです。恐らく、カカシには尾獣の「心の階層」にてナルトが尾獣と結んだ盟約とも言える交わりを認知しなくとも、何となく感じるくらいはできる。

最早、自分の理解を超える程に成長したナルトであっても、ナルトが示す「自信」が根拠のない強がりじゃない事を…。だから、一時的に疲弊したナルトが持ち直す暇(いとま)を作る為なら命だって懸ける。それは先ず自分が行う覚悟があるから、混乱しているガイの正気を取り戻そうと考えたのだと思います。カカシは命懸けでナルトだけでなくガイも守ろうとしているのです。きっとその想いがガイには伝わったのでしょう。だからカカシを制する訳です。そこにはナルトだけでなくカカシも守りたいという想いがある…のだと、僕は思います。今度、事があればガイは黙って死門を抉じ開けるかも知れません。しかし、それはナルトが許さない。何故ならナルトはカカシとガイを守りたいと思っているから。

カカシもガイもナルトも「心」を理解しているのです。その想いが自分自身ではなく他者に向かう時…誰かの為に何かがしたい…そう思える気持ちを「愛」と呼ぶのではないでしょうか。「愛」という字の中心に「心」があるのは、きっとそういう事なんだと、僕は考えています。カカシもガイもナルトも自分の事なんかこれっぽっちも頓着してはいないでしょう。この「心強さ」が解りますか?この「温かさ」が感じられますか?「愛」とは「力」なんだと思うんです。誰かを倒す「力」ではなく、誰かを守る「力」。それは同じ「力」ではありません。その意味がカカシとガイとナルト…勿論、キラビには理解できるのだけれど、トビにはチンプンカンプン。それは「愛」の中心にある「心」を見ていないからなのです。

<スッ>「………」(あの顔…)(トビ)

<グッ>(トビ)

<ツー><ポタタ>(トビ)


(汗…?

…イヤ…雨だ…!

…オレが…あんな奴ら相手に
汗を流すことなど
あるハズがない!!」
(トビ)

<ポツ><ポツ>

(ナルトはただのサスケへの当て馬…
オレにとっては余興でしかない
ガキだったハズだ!!
)<スッ>(トビ)

<サァー…>

(あいつの力は把握していた…!
この違和感は力くるものではない…!

なら何だというのだ!?
いったい何が…!?」
(トビ)

(…イヤ……
そんなことはどうでもいい

ナルトが何者かなんてのは
どうでもいいことだ…)
(トビ)

<キリリ>とした眼差しがトビに刺さる。トビは落ち着き無く「うちは」を手にしますが、汗なんだか雨なんだか解らない。そこから始まる自問自答。しかし、トビの写輪眼には明らかに変容する「九尾のチャクラ」が「違和感」として映っている。ちなみに「九尾のチャクラの変容」とは、ナルトが大切にする「難しい名前」とテイルズから受け渡された「チャクラ」と無関係ではないでしょう。そもそも十尾を「九つのチャクラ」に分割し「九つの名前」を与えた経緯を考えれば、量的には物足りませんが、九つの内、八つまでチャクラが揃った事実は、「十尾の統合」においては質的にトビの外道魔像と並んでいるでしょう。きっと、その事実がナルトが発散するチャクラに影響しているんだと思います。

トビは写輪眼でその「変容」を誰よりも切実に感じるものだから、トビが把握した筈のナルトの「力量」との差に戸惑っているのです。しかも、今ここに居るトビは「心」を解ってない…っていうかーッ(笑)、「チャクラ=力」が全てのトビにとって、「心」を繋げて、お互いに支え合い、励まし合い、助け合う「強さ」…つまり「心強さ」が理解できないのです。トビが見立てを遥かに凌駕する「力量」を発揮する理屈がトビには説明できないから焦るんです。そりゃ汗もかく罠(笑)。しかし、その違和感を噛み殺すように無視するトビに感じる違和感とは何でしょう?「心」を無視して、「チャクラ=力」に対する感受性のみで物事を判断しようとするトビが長門やサスケを操れるんだろうか?

あれは人の「心」に巧みに付け入らなきゃ無理だし…。かと言って、トビが複数存在してTPOで入れ替わっているようにも思えない(一時、トビ複数説というのが在りましたが…)ので、残るはトビが何者かに言い含められている可能性…。例えば、予め言い含められた未来…つまり「予言」がトビにあるとしたら、それから外れる未来にファビョるのは解ります。そして、トビに予め言い含められた中に「心」に言及する文言がなかったのだったなら、今ここでトビが示す焦燥が僕には理解できる。そういうトビの雰囲気というものが、トビが黒幕には当たらず、トビを更に包み込むような存在なくしては成り立たないとする「予感」として、ナル×ジャンの考察に舞い降りて来てる訳なんだけど…回りくどい!?(笑)

「………」(トビ)

「この戦争より後
過去も未来もない…
存在すらも…
全てが無意味になる」
(トビ)

トビはあくまでも「月の眼計画」を断行するつもりなんですね。ちなみに「月の眼計画」とは十尾の人柱力となったトビが発動する「無限月読」「月」に投影し世界を眠らせ「夢」の中に落とすという馬鹿げた計画です。ぶっちゃけ外道魔像に封印した尾獣のチャクラを「魔像の鎖」「魔像の杭」で縛ったのと似てます。どっちも「心」を無視してますよね。トビには人と人が信じ合い助け合い励まし合える想定がないんです。何でそんな事になっちゃったかと申しますと、うちはマダラが木ノ葉隠れの里ばかりか「うちは一族」からもソッポ向かれた過去に始まってまして、もう誰も信じられなくなっちゃった(そんなような連ドラあったよなーッ)からだと思うんです。もしかしたら、そのに付け込んだ輩が居た…なんてね。

或いは、トビが勝手に滑り落ちちゃったのかも知れないし。どっちにしてもトビに写輪眼なんて「感受性」が備わっていたから見誤る未来があったのは確かだと思うんです。僕はね…才能って恐いと思うんです。人に見えないものが見える。他人に出来ない事ができる。たったそれだけで人って思い上がれるんです。「カッパの河流れ」とは「泳ぐのが上手な様」を言うのではありません(笑)。「カッパだって溺れちゃうんだよ」という戒めなのです。そして、写輪眼の持つチャクラに対する高い「感受性」「チャクラ=力」のみを際立たせ「心」を軽んじる原因を生んでるのだとしたら…。そして、この仕組みを創ったのが何を隠そう六道仙人なんだから、ややこしいを通り越して救いがない(滝汗)。

皆さんを無視した自分語りが…続きます(笑)。

 

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