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第574話「闇を見る眼」⑤

 
<ズイ…>(須佐能呼)

<スッ…>

(写輪眼!!)<ギン>(サスケ)

<ビクン>「…戦争だ…倒…せ…敵を…」(白ゼツ)

「トビの奴…仕掛けたようだな」(サスケ)

「キラービー…うずまきナルト…を……
捕えろ…」
(白ゼツ)

「…………」(サスケ)

「お前が木ノ葉に攻めてくりゃ…
オレはお前と戦わなきゃならねェ…
憎しみはそれまでとっとけ…
そりゃ全部オレにぶつけろ」
(ナルト)

「いいだろう…
お前を一番に殺してやる」
(サスケ)


「早く…しないと…奴の元へ…
仲間が…どんどん…集まって
……いく」
(白ゼツ)

「…………
フッ…」
(サスケ)

サスケは燃やさずに残した白ゼツを”須佐能呼”でつまみ上げて幻術に落とします。ちなみに、この直前に<ブワッ>っとなったのは拠ん所ない事情で書きにくくなってぼやかそうとした訳ではなく、サスケが”須佐能呼”「霊器」をしまったからだと思われます。サスケが如何に「永遠の万華鏡写輪眼」を開眼し、閉じる事の無い永遠の瞳力を得たとは言え、「霊器」を使えばそれなりにチャクラを消費したり、体力を消耗したりと、いろいろと宜しくないのでしょう。それに誰が見てるとも知れませんので、忍が手の内を曝し続けるのもアレですんで…。白ゼツをつまむ”須佐能呼”の指の関節がカラクリっぽくて特徴的で、この骨格に筋肉と皮膚を纏わせるのが「霊器」なんだと、僕は考えてるです。

六道仙人「兄」に瞳力と精神エネルギーを与え、「弟」には仙人の肉体と生命エネルギーを与えたんですよね。恐らく六道仙人はその両方を持ってた筈で、例えば十尾との決戦兵器として「霊器」を所有してたと思うんです。大蛇丸「霊器」である「十挙剣」を探し当てられずイタチがまんまとゲットできたのは”須佐能呼”の有無だったと仮定して、ナルトが”九尾チャクラモード”を覚醒させて<チリ><チリ>っとなった時にその首に「六道の勾玉」をぶら下げられたのは、同時にナルトの「仙人の肉体」が完成したからではないかと、僕は閃いた訳です。そこから、「兄系」の瞳術が展開する”須佐能呼”こそ「仙人の肉体」の代わりに「霊器」を扱う方便だったのではないかと考えてみたのです。

結局。「兄」六道仙人に選ばれず、その信託は「弟」が欲しいままにした訳で、「兄系」は潜在的にその時の絶望感や虚無感を継承してて、僻(ひが)み根性とも人間不信を引き摺りまくった人格形成をしてるようで、例えばそれが「うちは一族」の閉鎖的な雰囲気とか、トビがデフォルトで醸し出す「理解されないオーラ」になって顕現してるように思うんです。対して「弟系」はと申しますと、「一族」の単位を「里」に押し上げる人望があり、数々の人々が集う明るさとバイタリティ(=生命エネルギー?)を持ち得た…。その楽しさに「兄系」憧れを感じたんじゃなかろうか…否…感じない筈ない罠。だって「やっかみ」が足を生やして歩いてるような「兄系」だもの仕方ないっしょ(笑)。

そして、瞳力の独壇場とも言える「陰遁」のイメージ力で兄系が「仙人の肉体」を創り出したのが”須佐能呼”だったのだろう…それでこそ「兄系」だろうと、ケルベロスは考えた訳です。ちなみに「陰遁」とは「事象のイメージ」つまり「万物の設計図」であり、「兄系」が得意とする分野で、父・六道仙人に選ばれた「弟」「霊器」を扱う姿を下敷きにして”須佐能呼”をイメージしたのだと考えると切ないな…と思うんです。そして、”須佐能呼”「霊器」を手にする事で「肉」を得る。実際、”須佐能呼”「霊器」を起点に筋肉と皮膚を纏います。「霊器」が内包する「陽遁」が骸骨である筈の”須佐能呼”「生命」を与えるようでもあり、そこに仄かな「温かさ」を、僕は感じてしまうんです。

それって「弟」「兄」を捨て置けない気持ちに似てませんか?丁度、ナルトがサスケを放っておけない気持ちみたいな、一緒に死んでやる…みたいな、ホントは「一緒に生きてやる!!」って想いみたいな。何だろう…チャクラとか忍術とかを超越した「力」がそれなんだとしたら、やっぱり「弟」「愛」を見出してるんだと思うんです。そりゃ…ナルトに仲間がどんどん集結して行くのは仕方ないって。それを白ゼツが希釈され僅かに持つ「自我」が心配して焦ってる訳だ。サスケはそれを一笑に伏すんだけど、そのズレっぷりが如何にも「兄系」っぽいな…と思います。ま…そんなサスケに誰がした…って、そんなのイタチ兄さんに決まってるんだけど、これも「ある意志」想定内なんだな…(笑)。

「お前もオレと同じ孤独の痛みを知る者だ
そして…その痛みが人を強くする


だからこそ…この繋がりを断つ事で
オレはさらなる強さを手に入れる!」
(サスケ)


「忘れたかナルト…
本当の強さが何なのか……」
(サスケ)

「腐れきった忍の世界からうちはを決別させる感覚
ある意味お前達木ノ葉がずっと望んできた事だ」
(サスケ)

<スウー…>(サスケ)

「昔からうちはを否定し続けたお前達の望み通り
お前達の記憶からうちはを消してやる


お前達を木ノ葉の全てを殺す事でな!
つながりを全て断ち切る事こそが浄化!
それこそが本当のうちは再興だ!」
(サスケ)

<ズバッ>(サスケ)

「オレもお前の所に行くとしよう…
お前を切りに!!」
(サスケ)

サスケはこんな風にズレてて良いと思うんです。元はと言えば、六道仙人が自分を真っ二つに割る様に「兄」「弟」を創り出した事にこの物語は端を発してる訳で、十尾を九分割した尾獣然り、その過程で天空に飛ばされた「月」然り…。数々の「霊器」や「外道魔像」を遺し、「うちはの石碑」を遺し、もう一つ…ザザザッ…ザザッ…を遺した。そして「兄」「弟」は忍宗を忍術に発展させながら、チャクラの扱いを研ぎ澄ませ、「兄」「弟」はそれぞれの得意分野で尾獣に対するアプローチに乗り出すのです。加えて「弟系」の持つ社会性が「一族」「里」へと発展させ、度重なる戦争を経て、数の理論で「弟系」趨勢を握れば、「兄系」テロリズムに活路を見出していった…。

それが”暁”だったと、僕は考えます。そして、「九尾のコントロール」を経て”九尾チャクラモード””尾獣モード”にまで高めたナルトは今や「弟系」特異点と昇り詰め、忍社会の「第一次パラダイムシフト」を成し遂げた千手柱間に匹敵する存在として輝きを放ち始めるに至ります。そして、ナルトの「強い想い」に感応する忍共が、それぞれに秘めたる「強い想い」に衝き動かされ、「里」の枠組みを越えて集結しようとしています。僕はこれをして忍社会が「第二次パラダイムシフト」へ向けて加速しているのだと考えております。サスケはその中心に居るナルトを本能的に嫌悪している訳です。これはもう「イデオロギー(=物事に対する包括的な観念)」の違いでもありましょう。

だから「兄」「弟」のどちらが正しいとか、間違っているとか、それを議論しても始まらないし、交わらない。だって、それは発生の段階で相反する様に仕組まれているんだから。それが言い杉ならば、相反するモノが分離されたのだとしましょう。それが六道仙人の行った「選択」だった…否…六道仙人は何一つ決めずに全てをバラバラに「分割」したのです。六道仙人の行いに対する理解が、『NARUTO -ナルト-』という巨大なサーガを紐解く上で大切になるんですが、その意味ではナルトもサスケも間違ってはいません。だから、どちらも正しいのです。そして、その二つが合わさるのも至極当然で、サスケがナルトを想い「お前を切りに!!」と息巻くのもシナリオに従った行動なのです。

<ギロリ>(サスケ)

<ザッ>(白ゼツ)

「お前らは木ノ葉の忍でない…
約束の内には入らん…」
<ギン>(サスケ)

<ドッ>(須佐能呼)

<ズバン>「ぐああ!!」(白ゼツ)

「いい眼だ
どんどんなじむよ兄さん……」
(サスケ)

「オレと同じ眼を持ってオレの前に来い」(イタチ)

<スッ>「……………」(サスケ)

(…この兄さんの眼に
焼き付ける光景はことごとく……
酷(むご)たらしく…悲しく…
重いものになる…


だがそれが正しいんだ…
見ていてくれ

兄さん…)
(サスケ)


<スー…>(サスケ)

<ピタッ>(サスケ)

殺さずのサスケが変わったのは鉄の国で暴れた頃からだったと思います。チャクラの感受性が高い香燐が、濃く冷たいサスケのチャクラに<ブル><ブル>と震えましたよね。大蛇丸の弟子だった頃はトドメを刺せずにダメ出し食らってたサスケが、今では返り血上等の殺し屋です。ちなみに、そんな甘っちょろいサスケが返り血を浴びずに用意した兵隊を全てやっつけた姿に大蛇丸ゾクってたんだけど、お子ちゃまヒヨッコのサスケには伝わらなかったんだろうなーと思います。何気に目つきが狂気を帯びてて、今では大蛇丸に受けた恩も忘れてしまったか…。でも待てよ…サスケが振るう「草薙の剣」って大蛇丸が授けたモノだよな…大蛇丸がホントに嫌悪の対象ならサスケはどんなに優れた忍具であっても使わないでしょう。

デイダラと殺り合った時だって、サスケはデイダラに「雷切」ではなく「千鳥」だとエクスキューズしてましたね。あれは師・カカシが自分に授けてくれた「千鳥」と、カカシが盟友・オビトのくれた眼と共に放つ「雷切」とは似て非なるものと、デイダラに一緒くたに理解されてるのが悔しかったから…つまり、カカシとの想い出を大切にしてた証拠なのだと思います。きっと、大蛇丸が授けてくれた「草薙の剣」を今でも大切に使い続けるのは、それと同じ気持ちなのだろうと思います。だから、少なからず狂気を帯びて奇異に見えるサスケですが、決して頭がイカれちゃった基地外ではないと思います。何度もしつこく書きましたが、全ては織り込み済みで、シナリオ通りの行動なのです。

そして、サスケが失明寸前まで拒みまくったイタチの眼の移植にしても、それを受け容れたって事はイタチをちゃんと受け容れました…って事なんだと思います。サスケはカカシの「千鳥」大蛇丸「草薙の剣」…そして、イタチの「万華鏡写輪眼」受け容れて、人生を力強く歩んでいるのです。サスケは「退かぬ!媚びぬ!!省みぬ!!! 」のサウザー(北斗の拳…でしたっけ!?)みたいなモノかしらと思います。その意味で確固たるアイデンティティを確立してるのだと言えましょう。そして、KFB(カブトフルボッコ)に直走るイタチと思いきや、突然、イタサスの邂逅が在りそうな予感でありまして、これもまた「ある意志」の導きなのだろうかと複雑な心境ではありますが…。

イタチはこんなサスケを見て…きっと喜ぶんだろうな

「ホントに強くなったな」…と。

第574話「闇を見る眼」
ナル×ジャン ケルベロス



 

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