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第577話「憎しみの刃」②

 
「何!?あのマダラが
穢土転生されたのか!?」(穢・ダン)

「本物のマダラが出て来た以上
五影も悠長に構えてはいられなくなりました
火影として綱手様も応戦に出られています!」(チョウザ)

「!!?綱手火影…!?
あいつ…火影になったのか!?」(穢・ダン)

「話してませんでしたっけ?
まあ綱手様もアナタが亡くなられてから
色々ありましたかが…
結局はアナタを慕っていましたから…」(チョウザ)

「………
綱手…」(穢・ダン)

綱手様が負ける訳はありませんよ!
だからこそ三忍の中で唯一あの歳まで
生きてらっしゃる!!」(チョウザ)

忘れてましたが、穢土転生ダン四紫炎陣で閉じ込められているようです。四紫炎陣とは結界術で、四人の術者が共同して発動します。木ノ葉崩しで音の四人衆がヒルゼンと穢土転生の柱間と扉間を閉じ込めて…と言うよりは、外から誰も入れないようにしていました。紫色の壁に触れると萌えて…おっと…燃えてしまうんですよね。そして、この結界は術者を殺さない限り解けません。大した結界の中に穢土転生ダンは居る訳ですが、何でか攻撃性がなく穏やかです。多分、見張りだと思うんですがチョウザと昔話?などをしています。チョウザが物凄く懐かしそうに話してますね。綱手は術で若く見えるけど、ホントはお婆さんなんですよね。ダンは死んだ当時に「魂」の形がフィックスされてるんでしょう。

僕は「魂」「心」は別の存在だと認識しています。確か…僕が齧った「陰陽論」でもそうだったし、最新の脳科学に拠れば「心」とは「脳の機能」であると説明されている筈です。ダンの様子を見る限りでは、穢土転生の術では「魂」だけでなく「心」までもが召還されています。しかし、『NARUTO -ナルト-』の世界観がガチガチに「陰陽論」或いは「陰陽五行説」で構築されているかと申しますと、チャクラの五大性質が「土・水・火・風・雷」な時点で既に外れていますんで、別に「魂」「心」が一体化しててもいい訳で、穢土転生ダンの描写をそのまま素直に受け容れて、脳科学に縛られず、「魂」「心」を内包してて、そこに「記憶」も収納されていると考えるのもありとしましょう(笑)。

僕は経験的に「魂」とは先天的で無意識で無知覚で、「心」とは後天的で意識や知覚を伴うと考える人で、「陰陽論」に触れる前から、意識的に「魂」「心」を使い分けてたと思います。きっと、その思想が僕の文章の端々に投影されていて、妙に波長が合ってしまう人がいる事を僕は否定できません。それは知識や技術ではなく、本能とか無意識で僕が書いてるからで…っていうか、あまり書く練習とかしてませんので、ホントに勢いで書いてるんです。だから稚拙で不安定なのであります。でも、僕は『NARUTO -ナルト-』で感じる「何か」を伝えたい老婆心とも思える「情」に従って行動していますので、考えて書く(時もあるけど)というよりは筆任せ任せキーボード任せで書きなぐっています。

書いてると不思議に流れになって、自分でも…ああ、そういうことか…とか、やっぱこうでしょ!!みたいに、自分でも気付かない自分の想い、考えに巡り逢えるのです。僕は僕の無意識を捜しているのかも知れません。それが僕の「書く」という行いなのではないかと思っています。そして、そういう僕の中の「自然」と、穢土転生の描写はあまりフィットしないのです。そんな細かい事を指摘するんじゃないよ!!とおっしゃるな(笑)。それがナル×ジャンでありまして、僕の「書く」という行いなんですから。そういう「隔靴掻痒」を僕が感じつつ穢土転生を受け容れてる…と、僕は伝えたいんだと思います。無意識と意識も繋がってますから、こういう表現になるんだけど、伝わってますか(笑)。

ま…ホントに余談だらけで申し訳ないです。チョウザダンの会話で、綱手って女性の存在感が浮き彫りになってるな…と、ふと思いまして。これが穢土転生なんて下衆な忍術で実現したのでなければ良かったのにな…と思えてならんかったのです。綱手がどんなに美しく素敵な女性だったか、チョウザのそこかしこから<ブワッ>っと溢れて来るように、僕には思えるのです。ややもするとチョウザ綱手が好きだったようにも思えますし、ちょっと年上のキレーなお姉さん…だった筈だから、憧れてたでいいのかな。そんな感じの「好意」が溢れてると思うんです。そして、その中に自来也の存在も感じます。きっと、チョウザ自来也を尊敬し慕っていたのだろうと、容易に想像できます。

チョウザ「意識」自来也を介した綱手「知覚」となって残っていると言うか…チョウザが同性として自来也に感情移入してて、自来也綱手の「恋」の成就にヤキモキしてたように思えてならんのです。しかし、自来也綱手にフラれまくりかの「イチャイチャシリーズ」を書いたのです。あれは自来也「魂」が記した作品であると、僕は考えてまして、「イチャイチャ」自来也の唯一のヒット作であるところに整合性を感じています。自来也無意識綱手に対する想いを物語に昇華させたんですよ…きっと。そして、綱手自来也をフラせたのはダンでありまして、それが単純に「※」で済まされたら悔しいな…自来也が浮かばれないな…とも思っています(笑)。やっぱ「顔」かよ!!って(笑)。

続きまーす!!

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