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「うちはの石碑」(結)

 
「神話は
真実になぞらえて語られる…
かつて六道仙人は忍宗を説き
平和を導こうとしたが…
夢半ばにしてその時が来てしまう

六道仙人は忍宗の力と意志を
二人の子供に託す事にした


兄は生まれながらにし
仙人の”眼”…
チャクラの力と精神エネルギーを授かり

平和には力が必要だと悟った

弟は生まれながらに
仙人の”肉体”…
生命力と身体エネルギーを授かり

平和には愛が必要だと悟った

仙人は最後に死の床で…
後継者を決めなければならなかった…
しかしその決断が永劫続く憎しみの呪いを
生んでしまった」(トビ)


六道仙人の二人の子…兄弟(第49巻/164頁)。六道仙人が輪廻眼を所有し、十尾の人柱力だった事も件のサスケの五影会談乱入の「宣戦」でトビが提示しています(第50巻/77頁)。同時に「人柱力」の封印術システムが十尾を封印して世界を守る為に考案された忍術だった事も明かされています。そして、六道仙人の二人の子を設け、兄に”仙人の”眼”…チャクラの力と精神エネルギー”を与え、弟には”仙人の”肉体”…生命力と身体エネルギー”を与えるように兄弟を生み分けた…と言うよりは、全能の神様にも匹敵する能力を有し、十尾も御し切る正に「完全体」だった六道仙人を、真っ二つに分断するように分けて不完全な状態にするが如く兄弟を創り出したのではないかと、僕は考えております。

「…イザナギとは
本来お前の言う六道仙人の”万物創造”を
応用した術の事だ

もともとうちはと千手は一つだ
その二つの始祖である六道仙人
その二つの血と力を持ち
あらゆるものを創った


想像を司る精神エネルギーを元とする陰遁の力…
それを使って無からを造り
生命を司る身体エネルギーを元とする陽遁の力…
それを使って形にを吹き込む

尾獣達もその一つ…
十尾のチャクラから陰陽遁の力を使い
各尾獣を創造した

想像を生命へと具現化する術

それがイザナギ」(トビ)

第510話「まさかの禁術!!」②(六道の力編)で小南をう…う☆後ろからガッツリと突き刺したトビが禁術・イザナギの説明でこのように言ってました(第54巻/107-108頁)。十尾の人柱力だった六道仙人は”万物創造”により「生命」までも創造できたのです。尾獣もその理屈で六道仙人が造りたもうた「生命」でした。ここでちょっと余談をば少々。チャクラは一応、「土・水・火・風・雷」「五大性質」で一件落着(「チャクラの性質変化6通り」はどうなったのか?(汗)参照)していますんで、五種類しか存在しませんFA六道仙人はそこから「尾獣」という「九種類のチャクラ」を創り出さなければならなかったので、さあ困った…どうしましょうか?!となったのだと思います。

そこで六道仙人五種類のチャクラから任意の二種類のチャクラを取り出す組み合わせ5C2で、新たなチャクラ性質を創出する必要があったのですFA。尾獣は同じく六道仙人が考案した「人柱力のシステム」で人柱力を介して忍界に影響していた筈で、この場合、人柱力が「男か女か…それが問題だ」な訳ですが、どっちにしても人と人の交わりにはあんな事やこんな事がありまして、「人柱力→忍」へのチャクラの伝搬があったものと思われます。それが氷遁、炎遁、灼遁、溶遁、熔遁、嵐遁、沸遁、磁遁、砂遁、閃遁、木遁…十種類(十二種類もありますが…)の「血継限界チャクラ」ではないかと、ナル×ジャンでは予々訴えて来たのであります。詳しくは下記駄文参照されよ(笑)。

「男か女か…それが問題だ」(序)

「男か女か…それが問題だ」(壱)

「男か女か…それが問題だ」(弐)

「男か女か…それが問題だ」(参)

男か女か…それが問題だ」(終)

話を戻すと、六道仙人兄弟の二体も尾獣同様、陰陽遁・万物創造によって拵えたんだと思います。だから厳密に言っちゃうと「人」じゃなくて「人造人間」だったと言えるでしょう。それが人間の女性と交わってチャクラを扱える特別な人間が派生して行った…筈で、先ずは「侍」(サムライ)として世界に関与し、それが「忍」へとシフトして行ったのだろうと思います。恐らくチャクラの運用を重視した正常な進化であり、「侍」は武器に傾倒し過ぎた故に追いてかれたんだと思います。「侍→忍」のシフトは穢土転生軍団にちょっと落ち気味の頃に提示がありましたね。「侍」は性質変化やチャクラ性質に頓着が無く、忍術に相当する概念が希薄で少数派を脱せなかったのではなかろうかと思います。

「仙人は力を求めた兄ではなく…
愛を求めた弟こそ後継者にふさわしいと
そちらを選んだ


長男として当然
自分が後継者だと思い込んでいた兄は納得せず…
憎しみのあまり弟に争いをしかけた

時がたち血が薄れても
二人の兄弟の子孫は争いを続けた

兄の子孫は後にうちはと呼ばれ
弟の子孫は後に千手と呼ばれるようになる

このうちはマダラと
初代火影千手柱間との闘いも
運命だった」(トビ)

第462話「サスケの忍道…!!」(トビ半落ち編)で、トビがカカシ、ヤマト、そしてナルトを前でゲロッた内容です(第49巻/164-165頁)。六道仙人兄弟、二人の男子しか創造していませんから、パンピーの女子と交わり「血が薄れて」しまうのも当然と言えば当然でしょう。ま…交配の早い段階で生まれた女子と直系の男子から発生した一族が兄系では「うちは一族」であり、弟系では「千手一族」「うずまき一族」で、渦潮隠れの里の消滅と共に散り散りになったうずまき一族が人柱力として血継限界一族の核となったのでしょう。これは先にも述べたように「血継限界」の派生に関係してまして、その影響力は兄系弟系両方に及んでいた筈です。また、それに頼らない伝搬も存在したでしょう。

特に千手柱間の「木遁」に関しては扱いが非常にデリケートでありまして、果たして一般的な血継限界と考えるべきか疑問です。それは僕が「木遁」「陰陽遁」の一種、或いは一部分だからではないかと考えているからなんですが、何で柱間だけに木遁が…は未だに謎であります。そもそも「六道の力」を求める輩に「柱間の細胞」は必須アイテム化してますて、輪廻眼の製造工程の重要な鍵となっています。しかし、千手柱間の生い立ちが未だに何一つ語られず、木遁忍術は孫娘の綱手にも伝承せず(汗)。唯一、イザナギユニットを搭載したダンゾウの木遁がかなり洗練されていたのは、大蛇丸ヤマトで失敗(大蛇丸はヤマトの存在を知らなかった)した反動だったのかも知れません。

大蛇丸が「柱間の細胞」の実験体として関与したヤマトの木遁も人工的で加工された材木を発生させているように感じます。”九尾チャクラモード”のナルトの発するチャクラに影響され、ヤマトがその「生命力」を指摘した描写(第54巻/14頁)や、カブトに拉致られたヤマトが外道魔像下の蓮華座に組み込まれて弱いながらも木遁忍術が使えるように強化された白ゼツ軍団が”九尾チャクラモード”の攻撃で樹化する描写は、実験体の生き残りであるヤマトや「柱間の細胞」の培養体の欠損部分を強調しておりまして、それを”九尾チャクラモード”の「生命力」が補完すると考えれば、ナルトが「仙人の肉体」の有り様を示しているように思います。それは同時に柱間の謎の「解」でもあるでしょう。

「うちはには
代々伝わる古の石碑がある

今も木ノ葉の地下にある

そこにはかつての六道仙人
書きつけた秘密が記してある
瞳力がなければ読む事ができず
写輪眼・万華鏡写輪眼・輪廻眼の順に
解読できる内容が増える
」(トビ)

六道仙人が遺した「うちはの石碑」とは瞳力を持つ兄系のみに向けたメッセージであった事は明白です。そして、その内容は瞳力の覚醒ステージに拠って異なります。フガクは万華鏡写輪眼の開眼条件をある程度知っていましたし、サスケも九尾のコントロールや失明のリスクを知ってましたから、恐らく石碑の写輪眼(三つ巴文様)領域には、万華鏡写輪眼の開眼条件やメリット、デメリットが記述されている筈です。イタチが「その写輪眼…お前はどこまで見えている」(第42巻/17頁)とドヤ顔で質問したのは「うちはの石碑」の解読領域に関するものと考えて差し支えないでしょうFA。そして、ガチではありませんが、写輪眼領域の解読内容は巴文様の数で細分化されているのでしょう。

サスケはイタチと殺り合う段階では三つ巴文様で、その瞳力で「うちはの石碑」を読んでなかったのかも知れません。何故なら、「史上最大の兄弟ゲンカ→トビの万華鏡の儀式」のサスケの様子を観察する限り、サスケは万華鏡写輪眼が如何にして開かれるかを知らなかったように思えます。きっと、サスケが「うちはの石碑」を初めて読めたのは「波の国任務」の後で、「うちは虐殺」直後の「そうかそういう事か」は瞳力無しでも読める領域(石碑にグジャグジャと物理的に掘られた文言)が在って「瞳力がないと読めないよ」みたいなメッセージを読んだんではないでしょうか。二つ巴文様の解読内容は三つ巴文様への上がり方くらいですかね。「兎に角、頑張って戦い続けろ!!」みたいな(笑)。

「カカシさん…アナタまさか…」(イタチ)

第二部が始まって直ぐの「我愛羅奪還編」でイタチにカカシが「お前の視力………どこまで落ちてる?」(第29巻/75頁)と煽った直後の…冷静なイタチ(サソリの術のフェイク品ではありましたが)が全身総毛立たせカカシに問うたのは(第29巻/76頁)、カカシが「うちはの石碑」を解読し、まさかの万華鏡写輪眼を開眼した可能性に言及した描写だったと思いますもの。イタチがこんな風に驚くところを見ると、「忘れ去られた伏線集」に集録されてるかも知れないけど…「万華鏡写輪眼を扱うものが三人になる」にカカシは入ってないという事になるでしょう。ということはイタチと密会してたマダラは万華鏡写輪眼の開眼者で、トビ以外のお面ヤローの可能性が微妙に出て来ますよね。

「貴様…オレの体の秘密を…
…あのうちはの石碑を読めもしない
お前ごときが解読したというのか?」
(穢・マダラ)

第560話「うちはマダラ」で、穢土転生で呼ばれたマダラがこんな風に言ってましたけど、在りし日のうちはマダラは永遠の万華鏡写輪眼の開眼者でしたから、石碑の解読領域には輪廻眼の開眼方法が記載されていたのでしょう。だから、兄系でもないのに秘密を知っていた大蛇丸…もとい…カブトを訝(いぶか)しがるのです。多分、マダラの永遠の万華鏡写輪眼には「弟に授けた”仙人の肉体”を手に入れなさい。そうしたら私と同じ眼を授けよう」みたいなメッセージが読めたんだと思います。つまり、「うちはの石碑」には「瞳力の取得方法」が記載されており、その為に兄弟同士で殺し合ったり、弟系の強い個体を探し出してその肉体を奪うよう導くというよりは唆(そそのか)していた訳です。

「おそらくですが……
初代火影柱間と戦った
あの終末の谷で

アナタは死んでなどいなかった

……その時点では…

あの戦いで初代柱間に負けたものの
アナタは柱間の力の一部を手に入れた


…違いますか?」(カブト)

マダラは「うちはの石碑」の記述に従い、終末の谷で千手柱間と決闘したのだと思います。そこで予定通り「千手柱間の力の一部」を手に入れた。恐らく、それが「千手柱間の生きた細胞」で、うちはマダラはそれを自分に移植して輪廻眼を開眼し「全盛期」を迎えるのです。カブトは更に「柱間の細胞」の制御方法を開発していて、穢土転生で召還したマダラを「全盛期以上」に仕上げる事が出来たと思われます。そのノウハウは大蛇丸の実験体であるカブト→ダンゾウのラインで構築されていて、カブトはそれを土台に今度は大蛇丸自身で臨床実験を繰り返し完成度を高めたのでしょう。トビも独自に「柱間の細胞」の移植には成功していまして、トビには唯一の輪廻眼があるから「唯一の六道」なのね。

トビが長門の亡骸から回収した輪廻眼は在りし日のうちはマダラが開眼した輪廻眼であり、うちはマダラが死ぬ前に手下であるトビに託したものでしょう。トビはその眼をうずまき一族の末裔である少年・長門に移植し「六道」を創った訳です。全ては「うちはの石碑」に記載された内容で、つまり「うちはの石碑」には「六道の作り方」が記されている訳です。そして、それは兄系のみに向けられたメッセージだった…。全盛期のうちはマダラはその完成形と言っても良いでしょう。しかし、マダラはそれと同時に死んでしまいます。もしかしたら「柱間の細胞」の毒性に殺られたのかもね。しかし、兄ではなく弟を後継者に選んだ六道仙人が何で今さら兄専の「うちはの石碑」なんか残すのかイミフです。

もっと言わせて貰えるなら、最初から弟だけを創ってお願いすれば良かったじゃないのかしら?しかも争いの火種を残すように自分が選ばなかった兄系を狙い打って「うちはの石碑」なんてメッセージを残して、最終的には弟の肉体を奪って六道仙人を再生する…みたいな教唆しちゃう。これが「安寧秩序」を独り支えていた人のやる事なんだろうか?と疑問なのです。六道仙人って一体どんな人なんだろう?もしかしたら十尾を目の前にアレは「ニャーッ」って叫んでるネコ耳オヤジなんでしょうか?いやいや、アレは「角」でホントに鬼みたいに酷い人なんだわさ!!と考えてみたり…「うちはの石碑」の存在を考えてると、相当ド汚い人物像が浮かぶんだけど、九尾・九喇嘛の回想でアッサリと却下です(笑)。

「私はもう長くない

守鶴・又旅・磯撫・孫悟空
穆王・犀犬・重明・牛鬼・九喇嘛

離れていてもお前達はいつも一緒だ
いずれ一つとなる時が来よう…

それぞれの名を持ち…
今までとは違う形でな

そして私の中に居た時とは違い
正しく導かれる」(六道仙人)

「本当の力とは何か…
…その時まで…」(六道仙人)

(長すぎなんだよ…じじい)(九喇嘛)

第572話「九つの名前」で、めんこい九喇嘛やその他の尾獣達が円座になって、その中央に居る六道仙人の話に耳を傾けていました…。『NARUTO -ナルト-』の単行本の最新刊・巻ノ六十の装丁を飾ってますが、仔尾獣はおぼこくてめんこいです。恐らく、六道仙人が「月」に九つのチャクラに分割した十尾の亡骸を封印した直後…六道仙人の臨終の少し前。幼い九喇嘛が涙目なのはその為でしょう。六道仙人が幽鬼のように清らかに見えるのは「力」を使い果たしたからではないかと、僕は考えています。そして、この円座を見る限り、六道仙人は底意地の悪いネコ耳オヤジでもなく、血も涙も無い鬼のような糞ジジイでもありません(笑)。それよりも不思議なのは尾獣らが凄く良い子な事でしたけど(笑)。

ところで、六道仙人の「いずれ一つとなる時が来よう…」が、当時は「十尾の再統合」だろうと、僕は考えていたんですが、近々にイタチの示した「アイデンティティ論」に啓蒙された僕は考えを変えています。そういう目でもう一度、第572話「九つの名前」を読み込むと、九つの尾獣がそれぞれの「名前」を持ちながら、今までとは「違う形で」ってあるじゃない!!これって分割された尾獣がそのまま「アイデンティティ」を保ちながら共存して行く未来を示唆してるんだと気付くに至る訳です。そして、その「在り方」にこそ、六道仙人が十尾を九つに分割した真意が在るのだと閃いてしまって、久々に背筋に電気が奔りました。当然、十尾の存在とは六道仙人の存在と似たものなんだと思い付く必然♪

六道仙人は何で延命しなかったのか?何たって神様(みたいに全能)なんだから、いくらでも死ななくて済む手段は在った筈なのに…その意味が皆さんには解りますか?きっと六道仙人は世界中の人々にそんな風に質問したかったんじゃないかしら…僕は六道仙人「死を受け容れた理由」を自分達でで考えて欲しいと願ったんだと考えます。きっとこれが「親心」なんだな…と、僕は改めて噛み締めるのです。六道仙人が死を受け容れた深層には、六道仙人は自分一人が支える世界の「安寧秩序」対する疑問があったのでしょう。確かに「六道の力」とは強大で、人々は六道仙人を崇めてさえ居ればいい。しかし、それじゃ世界は何も考えない。それでは人も世界も成長しないのです。

「世界はこれ以上成長する必要などない
無限の月読みの幻術の中で眠っていればいい」
(穢・マダラ)

第562話「己を拾う場所」で…穢土転生で召還されたうちはマダラは確かにそう言いました。恐らく、この考え方は「うちはの石碑」の輪廻眼領域に記載された内容なのではないかと、僕は考えています。兄弟同士で殺し合って永遠の万華鏡写輪眼を開眼したら、今度は弟系の仙人の肉体を奪って輪廻眼を開き「六道の力」を手にしたら、バラバラにした十尾を統合して十尾の人柱力になる。そして、「月」に無限月読を投影して世界を夢に落とす…それが「月の眼計画」の全貌であり、穢土転生のマダラの言い切り方からは「うちはの石碑」教唆が濃厚だと、僕は思います。トビに至っては「全てがオレと一つになる!」(第50巻/72頁)と豪語してまして、一体化願望全開で困ります(笑)。

それと、世界の、人々の、尾獣達の「成長」を願う六道仙人の想いとはほとんど正反対です。僕は「うちはの石碑」を書き始めた当初、これを六道仙人の「解離性同一性障害」(多重人格)で片付けようかしらと考えていました。丁度、同じ時期、穢土転生で呼ばれた無(ムウ)様が「血継淘汰」であり、「分裂」できる体質だったのがヒントとなって、六道仙人が複数の人格が合わさって出来上がっていて、数多くの矛盾を抱えて苦しんでいたんだと説明したかったんですが、「アイデンティティ」「個」「世界」との繋がりの中で説明できる「今」にあって、その解釈は一変したのです。その考えは九体の尾獣達が成す円座の中央に立つ静謐(せいひつ)な六道仙人の姿に拠って補強されました。

六道仙人が自分の死を受け容れたのも、十尾を九つのチャクラに割って「名前」を与えたのも、自分の能力を真っ二つに割るように兄と弟を残したのも、全ては世界の「成長」を促す為だったのだと、僕は考えます。分割された「個」がしっかりとその存在を維持しながら、それぞれが繋がって世界を構築して行くにはどうしたらいいのか?それを「個々」で考えて欲しいが為。人々が、尾獣達が「世界」を感じ、その上で「自己」を感じる。「個」「個」の繋がりが自分で終わってしまわない為には、「個」「(他の)個」を強く意識し与えなければならない。その意義に人々が、尾獣達が真に気付く時、「愛の正体」にそれぞれが気付けるのではないかと、僕は期待します。

その上で、六道仙人「うちはの石碑」を敢えて残した訳です。その意義は六道仙人が自身の存在のみが世界に「安寧秩序」を齎(もたら)す「疑問」に符合するのです。「善」だけでも、「正解」だけでも世界は「成長」できないのです。「善」の対極。「正解」の反対。「光」に対する「闇」もまた必要なのだと六道仙人は考えたのだと思います。六道仙人「ヒール」(悪役)として兄を創り出したのだと思います。しかも追い討ちをかけるように「うちはの石碑」で徹底的にミスリードさせ、艱難辛苦を課します。それもまた人を、世界を「成長」させる為の慮(おもんばか)りであると思われます。しかも、兄系が独走しないように弟系にもちゃんと「道標」六道仙人はしっかりと残しているのです。

僕はそれが「予言」だと、僕は考えております。

「予言通りじゃ…
自来也の弟子二人共が
予言の子として交わり
忍の変革を導く者達だったとは
思わなんだが


あの時…自来也が諦めん選択をした時点で
この事はもう決まっていたのかもしれんのう

……あの本(『ド根性忍伝』)が
本当に世界を変える鍵に
なるとはのう」
(大ガマ仙人)

「終わったようじゃ…」と包帯でグルグル巻きのガマブン太に漏らした後、大ガマ仙人はそう続けました(第42巻/121-122頁)。「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」(疑問の考察)では、これを「輪廻眼の解脱」だと説明していましたが、第四次忍界大戦で穢土転生を用いて召還されたうちはマダラの圧倒的な力量を知った今、「ナルトVS長門」の予言の子同士の交わりとは、外道・輪廻天生の術の阻止を意味するのではないかと考えるようになりました。あの戦いとは長門をナルトが説得し外道・輪廻天生の術を木ノ葉隠れの戦死者の蘇生に充てさせ、結果的にうちはマダラの黄泉返りを阻止する戦いであった…大ガマ仙人は真っ白に燃え尽きた長門の死に際に確かにほくそ笑みました。

「…イヤ…長門にしても
オレのための輪廻天生の術を
あんな事に使うとは思わなかった…
裏切るとはな…」(トビ)

サスケを五影会談の襲撃に向かわせた直後、トビは長門の死に言及しています(第48巻/205頁)。そして、長門の外道・輪廻天生の術「ムダ撃ち」に落胆していました。僕は穢土転生の術でなく外道・輪廻天生の術でうちはマダラが召還されていたなら『NARUTO -ナルト-』は終了していたと考える人なので、大ガマ仙人が長門の選択を見てほくそ笑み、予言が成就したかの様な雰囲気になったのが何だかしっくり来ています。その考えを適用するなら、トビは「唯一の六道」と言う割りに外道・輪廻天生の術は使えないのかも知れません。輪廻眼の能力にしても視野共有する外道の術や魔像の鎖など部分的にしか使用していませんから、もしかしたら不完全な「六道」なんではなかろうかと思います。

僕は予てから妙木山大ガマ仙人が啓示する「予言」とはかなり胡散臭いと感じておりました。「うちはの石碑」六道仙人に拠る兄系への関与であると同時に、弟系に対して人の良い蝦蟇(正確には蝦蟇の良い蝦蟇じゃが)に、これまた人の良い自来也みたいな忍に「予言」を与え、選択者として忍界に関与させ、妙木山の独善的な選別により弟子を選別して、早い話が意に沿わない弟子はは自来也に消去させていた訳で、自来也の仙人モードの双肩に二大仙人であるフカサクとシマが乗っかった様など、妙木山の監視以外の何者でもありませんでした。ミナトはそれに気付いていて、仙人モードで二大仙人が融合する「両生の術」八卦の封印式拒絶する設定にしたんではないかと考えております。

実は自来也もその辺に疑問を持っていて雨隠れ潜入任務のペイン戦でワザと殺されたんじゃないかと考えてて、”暁”「うちはの石碑」を叩き台にして忍界に関与するように、自来也も「予言」を踏み台にして忍界に関与してるんじゃないかと考えております。同じように湿骨林(カツユ?→綱手)や龍地洞(大蛇丸)も何らかの形で「予言」との関連があり、ある種の共謀を企ててるんではないのか?!と捏造限界が暴走しております。なので、自来也が忍術すら到底及ばない雨隠れの深海に沈み回収不能で穢土転生されずの行では騒ぎまくりましたっけ(「元…”暁”のメンバーNAVI」参照)。しかし、僕なんかが「予言」を胡散臭く感じるんだから当事者の自来也など疑いまくってた筈です。

六道仙人(の遺志)が各仙人の夢に介入して「予言」をコントロールしてたんではないかと、僕は考えてます<キリッ>。その在り処は「月」が有力と見ています。きっと大ガマ仙人が寝入った頃、「月」から文字通り「天の声」が降りて来て、大ガマ仙人の耳元で囁いてたんだと思います(笑)。ぶっちゃけ…「うちはの石碑」が兄系を瞳力をスペックアップさせる教唆を受け持ち、中二病を拗らせる設定であり、「予言」が弟系の強化を指し示す「道標」として機能してた訳です。しかし、六道仙人には「平和には愛が必要」と最初に答えが在るにも関わらず、選択を後世に委ねたのは紛う事なき「親心」でありましょう。六道仙人は人と世界の「成長」を願っているのです。「成長」とは…(第42巻/30頁)。

「どうするか…自分で考えることだ」(自来也)

「うちはの石碑」(結)
ナル×ジャン ケルベロス

 

第584話「薬師カブト」 | BLOG TOP | 未だ読んでいない人の為に…⑫

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