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第585話「ボクがボクであるために」④

 
「カブト…お前は大蛇丸じゃない
尊敬している存在を真似るのはいい…
だがその存在に己を同一化するな

お前が…その存在そのものに
なれる訳じゃない」
(穢・イタチ)

「…………」(カブト)

「人の多くは何をするにも
まず真似事から入るものだよ
サスケくんが君を真似していたように」(カブト)

「…お兄さんの様に立派にやりなさい…」(フガク)

「……」(穢・イタチ)

「その行為は己が成長するための過程だ!
お前のように己を偽るための衣として使うな!」(穢・イタチ)

「………」(カブト)


「自分自身の値打ちを賞賛に値するものに結び付け
自分の存在意義を見出そうとしてもそこに何もない

最後にもう一度言う
嘘を付いて己をごまかすな
己自身を認めてやることができない奴は
失敗する」
(穢・イタチ)

「…………
今のこのボクが失敗する?

どうやって!?」<バッ>(カブト)

イタチの「説教」を拝聴していますと、ドロドロに汚れた大人としては身につまされます…。そもそもカブトは大蛇丸が示した「付け足せばいい」を鵜呑みにする様にいろんな「能力」「情報」を丸呑みにし続けました。しかし、六道仙人が自分をバラバラにして世に鏤めたパズルを組み立てる方向性が、この考え方には在りまして、その意味では「一理ある」と言えますまいか。つまり、大蛇丸が目指した「全ての真理の収集」とは六道仙人の再構築にあったとも考えられる訳です。この方向性とは「うちはの石碑」と同ピンでありまして、如何にも兄系的なアプローチなのですが、大蛇丸→カブトの関わった「龍地洞」がこの流れに関係している可能性があると、僕は思います。

一方、「アイデンティティ論」で考えると、イタチの「説教」が完璧にカブトを論破してまして、カブトはぐうの音も出ないです。こうなったらカブトはうちは兄弟を完膚なきまでに叩きのめし、取り込むしかない(汗)。「押し通る!!」…それもまた忍界においては真理であり、「強い者が正しい」のだとも言える。それが「力」を持って「安寧秩序」を齎す方法論でもありましょう。偏った考え方をすれば、六道仙人の存在も「圧倒的な力」で世界を黙らせた結果で在ったとも言え、六道仙人の前に人々は考える事を止め、ただただ従っていただけなのかも知れません。それが「月の眼計画」の中核を成す「大幻術・無限月読」と果てしなく似ています。

恐らく、六道仙人が自らの死を受け容れたのは、自分の存在が人々から考える事を奪うのを恐れたからではないかと、僕は思うのです。だからこそ、自分をバラバラにし不完全な状態にして世界に鏤めた。そして、一方では「うちはの石碑」を用意し、六道仙人の作り方を説き、もう一方で「予言」を負託し、それに対抗する勢力を生んだ…。それが今在る忍界の騒動の元凶だと思います。その意味で大蛇丸がミスリードしたカブトの動きに整合性がないのが気に掛かりますが、大蛇丸の悪ふざけなのか?業務のアウトソーシングなのか?ま…何だか分からなくなって来ました(汗)。しかし、現状、カブトはうちは兄弟に比肩する「力」を手にし攻勢に出ている。見た目はアレせすけど…(汗)。

「サスケ…オレの眼を見ろ!」(穢・イタチ)

「! そういうことか!」(サスケ)

(幻術・写輪眼!!)(サスケ)

(月読!!)(穢・イタチ)



<ズバババババ>(穢・イタチ)

<ズババッ>(サスケ)

ところで、多由也の魔笛・夢幻音鎖で縛られてるのにイタチがこんな感じで「説教」できるって事は、この幻術が四肢の動きのみを拘束するのでしょう。それを察したイタチはサスケに目配せします。きっと首も拘束されてないんです。勿論、思考も制限されていません。サスケはイタチの考えに気付き、イタチに幻術を掛け操作した。イタチもサスケに月読を掛け、サスケの身体を操った…と、まぁ…こんな感じで多由也の幻術に幻術を被せて幻術を返したのだと思います。髑髏(しゃれこうべ)の絨毯(じゅうたん)で白蛇が四肢に絡んでるのが多由也の幻術のイメージで、二人はそれを互いに幻術を掛けて解き合ったって事でFA。イタチが穢土転生を返したのと同じ理論かなと思います。

<ガッ>(双魔・大蛇丸)

「…………」(カブト)

「これよりイザナミに入る…
お前はもう…失敗したんだ…」
(穢・イタチ)

<フッ…>(穢・イタチ)

<ドサ>(カブト)

「終わったのか?」(サスケ)

「………」(穢・イタチ)

<ズバ>(カブト)

そして、大蛇丸の正体である白蛇を幻術から復帰した二人がまた”須佐能呼”を出して阻む。多由也の幻術で”須佐能呼”が維持できなくなってたんでしょうか。それだとイタチやサスケが写輪眼の瞳術である幻術を使えたのは変なので、”須佐能呼”も自由に使えたんだけど、幻術にハメられて失った自由を取り戻す為に一旦、”須佐能呼”を解いて二人で幻術を掛け合った事にしましょう(汗)。イタチはイザナミの為に”須佐能呼”を解いたが為にカブトの手刀で胴体を真っ二つに切断されちゃうんですが、それも写輪眼の瞳術と”須佐能呼”が同時に使えない制約みたいのがあるのか?しかし、それだとサスケの炎遁・加具土命が説明できないので、いろいろとある…という事で納得しましょう(笑)。

それで、イタチの「説教」に感化されたのか?大蛇丸の白蛇を防がれた直後、カブトがを流し始めます。僕はこれがイタチのイザナミの影響だと考えています。その後、イタチが”須佐能呼”を解いたと同時にカブトが<ドサ>と倒れるんです。しかし、その直後に大蛇丸の白蛇の口からカブトが飛び出してイタチを真っ二つにしてしまいます。この時、カブトは医療忍術手刀メスを使うんです。きっと「医療忍術=マザー」というのがカブトにはあって、それでイタチを真っ二つにしたのはカブトの意地だったんだろうと考えると…が頬を…(笑)。笑っちゃいけないけど、何とも合理性を欠く描写が、全部イザナミ「夢オチ」っぽくて、うまく説明できないのは「夢」だからだろうFA

そして、カブトがイタチを真っ二つにした後、驚くサスケと穢土転生の塵芥が綻びるイタチの顔が挿入されるんですが、イタチの右眼が真っ黒になっています。これは「一発目のイザナミ」がイタチから「光」を奪った描写なのではないかと、僕は考えています。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」ということわざがあって、映画のタイトル(ちょっとHな映画だったかも)だったか、小説だったか…確か「悪い事は二度ある」と言いたいのだと、僕は認識してて、ダンゾウのイザナギを参考にすると、片目で「一発」ですから、イタチは「二発」イザナミを放てるのです。つまり、カブトがイタチを真っ二つにするまでが「一発目」のイザナミで、イタチの事だからトドメの「二発目」がこの後に控えてると、僕は読んでおります。

全てを持ってた天才には分かりようがないよ
…ボクはボクをボクにしたいだけさ」(カブト)

「誰にも邪魔はさせない」(カブト)

カブトがいてますよね。このがイザナミの術中を示してるんじゃないかと思います。そもそも請われてないのにいきなり「自分語り」を始めちゃったカブトって、既にイタチのイザナミの術中だなFAと思ってましたが、きっとそういう事なんですよ(笑)。カブトはカブトである為に「勝ち続けなきゃならない!!」と思ってるんです。それって尾崎豊さんの名曲「僕が僕であるために」のように孤独な気持ちなんだろうな…それで泣いてるのかな…なんて考えてると悲しくなりました<ツー…>(←涙)尾崎豊さんは全身傷だらけで倒れているところを見つかって病院に搬送され、その後、肺水腫だったかで呆気なく死亡する…事になる。変死に近い最期だったと、僕は記憶しています。

僕が僕であるために 作詞:尾崎豊 作曲:尾崎豊

心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから

君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕はカラオケが大好きで、尾崎さんの曲もよく歌います。何とも心に染みる歌詞で、彼の死を各紙が「夭折」(ようせつ)と騒いだのも納得の行く表現だったと今も思います。僕も彼の様に世を儚んだ時もあったと思います。ぶっちゃけ、共感していました。現に今もリアルの世の中は殺伐としてる…のかも知れない。リアルは第四次忍界大戦以上にギスギスしているのかも…知れない。でも、僕も歳を重ねて(歳を取ったのではなくてね)丸くなったのか、イタチの「説教」と相まって、「勝ち続けなきゃならない!!」なんて尖った事は言いません。人は自分が出来る事をすればいい。出来ない事を許せる様になればいい。完全な存在で在る必要はない。そんな感じに肩の力が抜けています。

尾崎さんの死。それを少し思い出してみました。当時は「社会現象」みたく取り上げられてましたっけ。いろんな風説が流れ、他殺説、暗殺説…が飛び交ったな…。世の中は「天才」の死を祭り上げる方向に傾いていました。ある時、ある噂が僕の耳に入りました。民家の軒先…傷だらけの彼の周りには帯びを解かれたばかりの大量の紙幣が散らばっていた…と。それが彼のメッセージだったならば……忍術やチャクラで得られる「力」とは「お金」に似てるな…と思います。豊かさって、「お金」が沢山ある事と同義じゃない。僕はリアルにそれを感じてます。それにはイタチの「説教」も大きく関係しています。『NARUTO -ナルト-』と一緒に歩きながら、そんな風に僕は変われたんだ…。

君が君であるために負けてもいいんだよ頑張るな!!

第585話「ボクがボクであるために」
ナル×ジャン ケルベロス


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