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第587話「9時になったら」②

 
「………
カブトの意識は
その幻のイタチとオレを相手に
ずっと無限に続くループの中で
閉じ込められるって訳か…」(サスケ)

「イヤ…この術には
そのループから抜け出る道
ちゃんと用意されている
そもそもイザナミとは
イザナギの術者を戒める為に
作られた術だからだ」(穢・イタチ)

「…!
どういうことだ?」(サスケ)

イザナギ
お前も少し知っているようだが…
アレは運命を変える
うちはの完璧な瞳術だと
言われていたそうだ

己の結果にうまくいかない事があれば
その結果を掻き消し元に戻れる
言わば都合のいい結果だけを
選び取っていける仕組みだ

大きな戦いにおいて
うちは一族が決して失敗できぬ時
イザナギが大きく貢献する術となった

が しかし…
結果を己の思うがままに
変えられる術には
失明以上に大きなリスクがあった
その強すぎる瞳力は術者を奢らせ
個を暴走させる要因となってしまったらしい

イザナギを使う者が一人なら問題はない
だが それが二人以上になると
うちは一族内で
都合のいい結果の奪い合いが始まった」(穢・イタチ)

ここら辺の話の流れ…僕はちょっと引っ掛かって、サーッと読めませんでした。イザナギを使うと失明するのに…何だか使いまくってる…みたいな。イザナギは陰陽遁を応用した「六道の力」だから、柱間の細胞か、それに準ずるチャクラのエンジンが必要です。恐らく、「うちはの石碑」に記された情報にアクセスできるのは万華鏡写輪眼の開眼者のみ。しかし、柱間の細胞=仙人の肉体を手に入れた万華鏡写輪眼は輪廻眼にスペックアップしてお話が詰む…筈。でも、実際にそうはならなかったのは、万華鏡写輪眼と輪廻眼の間に永遠の万華鏡写輪眼が存在するからだ!!と、脊椎に電流が一閃(笑)。永遠の万華鏡写輪眼は「ある条件でのみ開眼」します。非常にレアな存在であります。

うちは一族内でイザナギの乱用があった…それが事実であるならば、マダラやイズナ以外にも万華鏡写輪眼の開眼者が少なからず存在したのでしょう。しかし、「ある条件」が整わなかった為に結果的に失明に至る期間限定の存在だったのかも知れません。当然、「うちはの石碑」の教唆に従い「仙人の肉体」を保有しようと輪廻眼にスペックアップする事もなかった…。しかし、失明のリクスを伴うイザナギを使いまくる…という部分がどうしてもスーッと入って来ない。そこで、もしかしたら「都合のいい結果の奪い合い」って、一族同士での「眼の奪い合い」だったのかな…と考えると、随分とやんわりとした言い方でイタチは伝えたもんだな…と、段々と違和感が均されました。

兄系・うちは一族とは「瞳力」を得る為に仲間同士で「眼」を奪い合う宿命みたいなモノを帯びた一族だったのでしょう。しかし、いくら何でもそれを弟・サスケに伝えられないとする気持ちがイタチにあったとしても不思議じゃありません。もう大人なんだから、そのくらい察しろよ…なのかも知れませんし。今となってはサスケしかうちはは居ないんだから、知らなくても良い事だと考えるのもイタチっぽい…と言えばイタチっぽい。これは「嘘」じゃないよな…と。きっと、そう言う考え方が、やはりうちは一族にもあって…そりゃ鬼や悪魔じゃなく人間(忍なんだけど)だから…そうした「心」イザナギを戒めるイザナミを残したんだろうな…と、僕は解釈する事と致しました。

イザナギの使用者は、何らかの方法で柱間の細胞か、それに準ずるチャクラのエンジンを自分に取り込み、擬似的に「六道の力」を再現できた事になります。うちはマダラが輪廻眼を開眼したのは、その前に永遠の万華鏡写輪眼にスペックアップしてたからで、「ある条件」が、一族同士で削り合い、結果的にマイノリティ化して行くしかないうちは一族にとって、誠に敷居の高い要求だった事だけは確かでしょう。ちなみに、うちは一族では「眼のやり取り」は一般的だった筈で、神無毘橋のオビトが臨に告げた「眼軸ごと」写輪眼の移植マニュアルの存在を示しており、今となってはそれが「うちはの石碑」だったんだろうな…という事が何となく解りますね。

勿論、イザナギを使用しようと<プッ>するようなうちはの忍が苦労して自分が開眼した万華鏡写輪眼を使い捨てる訳はなく、オビトのように死に瀕した仲間から手渡されたり、或いは力尽くで奪うか…そうした「眼」をダンゾウのように自分の身体の何処かに埋め込んで使用したのかも知れません。それか、一度自分の「眼」を外してイザナギ発動後、自分の「眼」を復帰する手もあります。トビが小南を後ろから<ブスッ>と突き刺した行で、トビがオビトの肉体を使用するならイザナギ「眼軸」は必要なしとなりますし、ダンゾウのイザナギユニットにしても青の透視によれば「眼軸=視神経束」までを搭載せず、経絡系のみの接続のようだったので比較的簡単な施術で運用できた筈です。

ま…そんな黒~い歴史がうちは一族にはあって、一族どうしてお互いを削り合い、殺し合い、減らし合いしてた訳だ。そして、その一方で、そのような愚行を愚行として受け止める態度もうちはにはあったんだよ…と、めちゃめちゃ遠回しにサスケに伝えてるんだと思います。しかし、それを今さらサスケにイタチが伝えないといけないって事はサスケは万華鏡写輪眼開眼して以降、「うちはの石碑」を読んではいませんな。それを今さらイタチが薦めないのも、書いてる事が事なだけに「大切な友」を殺しかねん(汗)。イタチがそう考えてる様に思え、明らかに「うちは虐殺」からイタチも変節があるな…と改めて感じます。死んだ人間が死後に改心するのは…ちょっとアレだけどね(笑)。

イタチのは一度、浄土に辿り着き、忍術に拠り穢土(現世)に呼び戻されました。僕の死生観「陰陽論」「脳科学」に準拠しておりまして、が肉体から離れ「死」を成し、肉体から離れた「心」は備わっていないと考えるのですが、『NARUTO -ナルト-』の世界観としては、どうも「心」が付帯している。脳科学的に「心」は脳の機能であり、肉体が滅した段階で「心」は失われると思われましたが、九尾の陽のチャクラがミナトを覚えていたり、今こうして穢土転生で召還されたイタチが思い遺しを遂げる行に接していると、「心」『NARUTO -ナルト-』においては同義の様に思います。だからイタチは死んだ後に改心する事が出来たんだと、僕は思います。

「それを止める為に作られたのがイザナミ

視覚相手に視覚では幻術にハメられないからな

イザナミイザナギ
己の結果を都合のいいように変えようとすると
一生同じところをグルグルとループする仕組みだ

だがイザナミイザナギを止める為の術…
ちゃんとそのループから抜け出る道
作られていた」(穢・イタチ)

「……!?」(サスケ)

「これは本来
うちはの仲間を奢りと怠慢から救う為の術だった
術で簡単に結果から逃げる者を止める為の術

本来の己の結果を受け入れ
逃げなくなった時
おのずとイザナミループは解ける
術に頼ることなく…
運命を自分で受け入れるように導く術

抜け道のある術など
実戦では危なくて使えない
そういう意味で
イザナミは禁術になっている

だからカブトが
自分以外の誰かに成り換わることをやめれば…
ループから出ることは出来る」
(穢・イタチ)

「………

なぜ…こんな術をわざわざカブトに掛けたんだ?
脱出できるってことは…」
(サスケ)

ちょっとダラダラと感想が長くなるのは最近しっかりと考察を書いていないからで、一応、感想で余分に書くから勘弁してください…という意味を込めているんだけど、実際は『NARUTO -ナルト-』に対する疑問や気付きが少なくなっている所為もあるかと思います。僕的にはいつでも「終末の谷の決闘」に行って貰って結構で、ナルトとサスケが何を成し、何を決するのか、ハッキリと見えておると思っとりますもので、一応、お話として詰んでいると、勝手に決め込んで居るからであります(笑)。でも、回収されていない伏線も数多(あまた)あり、『NARUTO -ナルト-』が消えた週ジャンを買わなくなる人がどれだけ出るか考えるだけで、お話が延びそうなのは良く判ります。

それでイタチらが生き返らされる事となり、いろいろとあった思い遺しをやり遂げようとしておるのだと思います。一見それは忍術ズッコな感じもありますが、そもそもイタチや、その他の忍共の人生を翻弄したのもまた忍術でありまして、この場合、行って来いでチャラが大人な判断であると思われます。ぶっちゃけた話をさせて頂きますと、このお話は「忍術ってどうよ?」という事をうてるのではないかと、僕には思えてなりません。ま…それを戦争編でワラワラと湧いた死者共と生者の交わりで描いてるんだけど、リアルに生きてる僕(ら)としてはスーッと入って来ない訳です。でも、キッ神がそうしたいんだから仕方ないと、僕は納得しています。でもそれで筆が軽くなる訳ではない。

そういうモゾモゾとした気持ちで僕は居ます。そこにイタチがサスケを前にカブトを救おうと片眼を失う行が降って湧いて心中穏やかではありません(笑)。イタチが本心でそう考えてるんなら、それで良いんです。でも、所詮、カブトはダシみたいなものに思えて仕方ない。何故なら…イタチはカブトを救う事で、サスケに教えようとしているのだから。イタチは「忍術」を最大限に有効活用してブイブイ言わせてるカブトをペシャンコに潰してみせて、サスケに「忍術」是非うてるだけなんだと、結局はそうなんでしょ…と思えて仕方ないんです。大蛇丸に成り代わろうとしてるカブトを止めて、イタチを模倣するサスケに、自分を超えさせようとしてるだけに見えて仕方ない。

だから、薄幸なカブトが一層薄幸に…それこそ光りを発しそうなくらい…幸薄く見えて不憫です(笑)。しかし、こんな風にイタチとサスケがイザナミ「穴」を示してるんだから、カブトは何とかして、その「穴」から這い出してくると思います。つまり、イザナギループを脱するんです。それは本当の自分を見出すという事。そうでなきゃイタチ兄さんの仕事とは言えないし…。その伏線を、キッ神はせっせと張ってるような気がします(笑)。でも、例えそうなろうと、穢土転生だけはキッチリ止めるのがイタチ兄さんでありますれば、この場合、静観が吉かと思われます。しっかし、こんな風にしか『NARUTO -ナルト-』を観れなくなった僕も既に枯れたか…乾涸(ひから)びたか…(笑)。

「…こいつは昔のオレに似ていた

全てを手に入れたつもりで
何でも成せると妄信しようとする
だからこそ己の失敗に怯え
己の失敗は無いのだと自分に嘘をつく

結果それをごまかす方法として
他人の力を信用しなくなったのがオレだ
カブトの場合は
それをごまかす方法として他人の力をも
全て自分自身の力だと思い込んだ」(穢・イタチ)

「………」(サスケ)

「こいつのことも分かるんだ…
この忍の世に翻弄された者同士
どうしても自分自身を許し
認めることができないことも…

確かにこいつのやってることは間違っている
だが…こいつだけを責めるのも間違いだ

カブトにはオレと違い
死ぬ前に気付いてほしい…」(穢・イタチ)

「こんな奴の為に
何で兄さんがそこまでする義理がある!?
こいつと兄さんは違う!
兄さんは完璧だった!」(サスケ)

「サスケ」(穢・イタチ)

「!?」(サスケ)

「…オレはお前に別天神という瞳術まで使い
お前を操る形で導こうとしていた

誰よりもお前を子供あつかいし
守るべき対象としてしか見ず
お前の力を信用していなかった


………

何であれ一つとして一つで
完璧なんてものはないのかもしれない
だからこそ
補うモノが引き寄せられるに生まれる…
側で対を成して
初めて少しでも良い方向へ
近づけるのだと思う

イザナギとイザナミのように」(穢・イタチ)

「…………」(サスケ)

イタチの言葉がサスケに染み込んでいます。もうカブトなんてそっちのけでしょ(笑)。イタチはサスケだけが心配なんです。サスケは木ノ葉隠れの里よりも重い。トビのあの言葉は本物でしょう。だからこそ、サスケは万華鏡を開けたのだと思います。イタチはサスケに何事も対になる存在がある…お互いが支え合って初めて物事は完成するのだと…サスケに伝えがいが為に、ワザワザ、カブトの為に片目の光を失うイザナミを使ってみせたのです。ねっ…そう考えるとカブトがやけに不憫でしょ(笑)。勿論、イタチがサスケとイタチ、それに符合するカブトと大蛇丸の関係に親近感を覚えた…というものあるし、大蛇丸の導き方が「強さ」を得るにおいて有効だったというのもある。

世界観が「チャクラ」とか「忍術」を認めてるんだから、使わなきゃ損なんですよ。端的にそれが”暁”であり、トビだった訳。特に”暁”の面子ときたら思いっきり人外だったじゃない。カブトも言うに及ばず人外ちゃんになってます。つまり、「忍術」の真理を究めた一方には、「不死」が当たり前になる…他者の能力を奪って自分のものにできる…「命」すら創造できる様になる…それって、もう神様でしょ…な結末が見えている。ある意味、六道仙人とは「神」にも等しい存在でありまして、それが「忍術」が極め求める真の姿なのだとも、一方では言えると、きっとイタチだって解ってると思います。それが六道仙人のパズルの絵柄なんだとしたら、それを目指して何が悪いと言いたい。

その上でイタチはその上を行けと指し示している訳です。それは素晴らしい行いであります…死んでいなければ(笑)。それがイタチの唯一の後悔であり、カブトを救いたい…死ぬ前に気付かせてやりたい!!そう考えるイタチの真意であると思います。きっと、イタチはカブトを完璧に滅する自信があるのでしょう。つまり、イタチはカブトを含めた穢土転生とか大蛇丸の禁術を今後一切、表に出ない様に消去してしまう積もりなのです。結果的にカブトは死ぬ事になる…のかも知れない。それでも「救う」とイタチが言うのは、穢土転生とかがない限り、生きてる内しか改心とか懺悔はできない。死んだら何もない。一切が「無」なのだと、死んでみて解ったのでしょう。

「オレを見て
オレになかったものを
お前には探してほしい」
(穢・イタチ)

「だから…
オレを完璧だなんて言ってくれるな」
(穢・イタチ)

イタチがこんなに雄弁なのは、「今」しかないからだと思います。一度死んだ身。しかも、もう二度とサスケには会えない。そういう状況をサスケには目指してもらいたいから、イタチはここぞとばかりなんだと思います。僕もそろそろ「命」が終わるかも知れない…だから、想い遺す事無きよう、こんな風にダラダラと徒然に書いてるのかも知れない。イタチがこんなに一生懸命なのは、後悔してるからなんだと思います。完璧を目指し、完璧だと思ってた自分が、実は間違いだらけだった。ホントは死んでしまったら、そんな事は関係ないんですが、奇しくも穢土転生。死人が「生」を受け、「肉」に宿り、「心」を取り戻している。この「忍術」功罪に、イタチは機を見て敏に行動しているだけ。

解るか…!?サスケ。

イタチはお前だけを大切に想っているのだ。イタチが懇々と語る事共などどうでもいい。イタチがお前を見、そして語る、その根幹をなす「情」こそ、お前が感ずべきものなのだ。それは「忍術」が一時的に作り出した幻かも知れない。でも、その幻を動かすは「心」である。サスケを真に大切に想うイタチの「心」である。穢土転生のイタチとは幽霊みたいなもんだろうよ。本来なら目に見えない存在だ。しかし、目に見えなくとも「在ると信じれば在る」のだ。「無いと思えば無い」のである。解るか!?サスケ。イタチの「心」が!!それが「愛」なのだ!!「愛」なのだ!!お前が信じれば「愛」すら、お前の眼には映るのだ!!「今」こそ気付け!!

皆、「愛」する人に見守られている…事に

ダラダラと続けてヨカですか…。


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