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「言」(「愛している」と言ってくれ!!)

 
「オレを止められるのは
唯一柱間だけだと言ったはずだ

だが奴はもういない

…それも
お前らにとっては
却ってよかったとも
言えるかもしれない」(穢・マダラ)

「!!?」(五影)

「なぜなら―」<スッ>(穢・マダラ)

<ブン><ズコ><ドドドドドドド><ズガッ>

「キャ!!」(メイ)

「ぐあ!!」(オオノキ)

<ズズン>

<ズサ><ズサ>

「ぬぉ!」(オオノキ)


「オレ一人分なら…
地図を描き直す範囲が
狭くて済みそうだからな」(穢・マダラ)

「そんな…山が斬れてる…」(メイ)

第589話「穢土転生の術・解」①で、多分、メイちゃんは失禁してると思うんですよ(笑)。しかし、穢・マダラの完成体・須佐能呼は桁外れ過ぎます。これ程までの「力」が何で必要なのか?僕はふと思い付きました。地を斬り裂き河を作り、山を削って平地にするような「力」が人に対して向けられる必要は普通に考えてありません。この「力」はこの星そのものと闘うくらいの必要性が無ければ余りにもオーバースペック過ぎます。それを、知性と教養を兼ね備え静謐(せいひつ)な雰囲気を持つ六道仙人がひけらかしたとは到底思えません。明らかに、この「力」六道仙人が十尾を抑える為に必要としたものだったでしょう。決して、この「力」とは人に向かうものではない筈です。

何故なら、これは人を無視する「力」だからです。十尾とは人間を苦しめる存在だったのだと思います。きっと十尾は完成体・須佐能呼が示したような「力」で人々を苦しめたのでしょう。それは人々にとって「絶対悪」であったことでしょう。そして、それを懲(こ)らしめた六道仙人「絶対善」であった…。非常に分かり易い勧善懲悪があったのだと思います。人々の利益が十尾を叩く六道仙人によって満たされた訳です。人々は十尾を抑え、自分の体内に取り込み、そのチャクラをコントロールできた六道仙人を「神」と崇め妄信できた訳です。それが六道仙人の成した「安寧秩序」の正体だったのでしょう。つまり、六道仙人とは十尾が存在する事で際立った「正義」だったのです。

ちなみに、柱間とマダラの「終末の谷の決闘」完成体・須佐能呼が示したまでの「力量」を少なくともマダラは持っていなかった筈です。それは穢・マダラも認める様にうちはマダラの全盛期とは「死の少し前」でありマダラが輪廻眼を開眼した時点…つまり、「終末の谷の決闘」で、マダラが千手柱間の細胞を奪取し自身に取り込んだ後の事だと思います。うちはマダラと比して千手柱間には意外に秘密…と言うか…未提示が多くてアレですが、マダラは千手柱間の細胞を取り込んで「全盛期」を迎えていまして、それが「うちはの石碑」の教唆だったと、ナル×ジャンでは押しておりまして、「うちはの石碑」とは「六道仙人の作り方」を示したシナリオだとすれば、マダラもまた「完成体」だった訳です。

僕は、兄系・うちは一族が「うちはの石碑」に囚われ「予感や想像の枠」に収まり切っていたんだと思うんです。その中でうちはマダラは碑文の示す「最終到達点」に達した…かに見えたんだけど、「柱間の細胞」の毒性によって滅びてしまう事になる。瀕死のマダラは手下に自分の再生を託し逝った。それとは「別ルート」で大蛇丸も六道仙人の「真理」を探求し、「柱間の細胞」が持つ毒性…有り体に言えば…プロテクトの存在に気付く。それを自身の身体で臨床実験し、結果的にカブトが大成する事になる。それがダンゾウが「喉手」で欲しがった「大蛇丸の人体実験データ」だったものと思います。結局、六道仙人を再生する事こそ世界の「覇権」を握る。それは人智の及ばない「力」なのです。

十尾とは勿論、「人」ではありません。人々から見ればそれはバケモノであり、忌むべき「力」そのものでありました。しかし、それを御す六道仙人もまた同等以上の「力」を持つ訳で、それが単に「同形」(ex;異形)であるが為に容認できたのだと考えれば、五影とあろうものが失禁寸前でキョドるのは「人」としては受け容れ難い「力」であることを意味し、それを人々が忌まないのは公平ではないと思いませんか。そこから、十尾という「絶対悪」が在って際立った六道仙人「安寧秩序」だったと言えるのではないかと、僕は考えております。人と人の争いでは結局、「憎しみ」が発生する。六道仙人は十尾が存在する事で世界を「安寧秩序」に落とし込む事ができたと考えるべきだと、僕は思うのです。

「カブト…お前を見てると
まるでかつてのオレを見ているようだ…

だからこそお前は負ける」(穢・イタチ)

「……
いいかい…ボクはもう脇にはいない
今はこの戦争の中心と言ってもいい!
暁を手玉に取り戦争を有利に操り
うちはの兄弟をも追い込んでいる…」(カブト)

「……
オレにとってお前は対立と共感
二つの感情を抱かせる

お前もオレと同じスパイとして
偽りの世界を歩いてきた者だからな」(穢・イタチ)

「…!」(カブト)

「オレも己が何者か分かってなかった
自分を知るということは
全てを成し完璧になることではないと
今やっと分かる

…それは己に何ができ
何ができないかを知ることだ」(穢・イタチ)

「負け犬らしい方便だね
できないことを認めろと…
あきらめろってことかい?」(カブト)

「違う
己ができない事を許すことが
できるようになることだ


全てができないからこそ
それを補ってくれる仲間がいる
己が本来できたであろうことを
ないがしろにしないためにもな

自分が何者か知りたければ
本当の自分を見つめ直し認めることだ


オレはそれに失敗した…
皆に嘘をつき
己自身にも嘘をついて
己をごまかしてきた」(穢・イタチ)

「………」(カブト)

「己自身を認めてやることができない奴は
失敗する」(穢・イタチ)

「かつてのオレのようにな」」(穢・イタチ)

第582話「何も無い」②で、イタチが雄弁かつ自責の念を込めてカブトを諭しています。カブトはカブトで六道仙人にイーシャンテンでメチャクチャ不遜なんですけど、大蛇丸→カブトの柱間の細胞のアンチプロテクト(解毒)の研究は、うちはマダラを「全盛期以上」に押し上げる成果を得ており、カブトは目の前に居る生きたうちはの若き肉体…しかも「永遠の万華鏡写輪眼」を開いたうちはサスケを喜々として見つめ、思い上がりを含めテンパイにほくそ笑んでしまったのだと思います。イタチは六道仙人に成らずとも良いと言っているようでもあります。それは「うちはの石碑」に記された指針から逸脱する考えでありまして、この事からもイタチが「予感や想像の枠」を脱していた節が窺えます。

六道仙人が成した「安寧秩序」というものに何の疑問もないのならば、恐らく六道仙人は「死」を受け容れずそれを継続したと思います。「不死」の具体例としては”暁”の人外達が嫌と言う程提示しています(笑)。そもそも”暁”…って言うか…忍は六道仙人が創出した忍術を土台に「力」を得ておりますから、六道仙人なればもっともっとスマートに在り続けられたと思います。六道仙人とは本当に完璧な存在だったのかも知れません。しかし、それを六道仙人「了」とできなかった。それは、六道仙人その人が自分の存在のみに支えられる世界に満足できなかったからじゃないでしょうか。そんなの「うちはの石碑」に記した「月の眼計画」と同じ。それは失敗の再現の指示を残したという事だ。

六道仙人は兄系に貧乏くじを引いて貰う事にしたのでしょう。それは六道仙人を再誕させるミッションを課したのだとも言える。兄に対して父が厳しく求める気持ちがその根底には在るのだと思います。そして、それを完成させたのは穢土転生で召還したうちはマダラの身体に細工をしたカブトでありまして、未だに秘密が満載される「柱間の細胞」を解析し尽くした大蛇丸→カブトの研究の賜物と言えましょう。大蛇丸やカブトは六道仙人を目指す事が「絶対」だと考えたのでしょう。しかし、同じ「うちはの石碑」に導かれたイタチは別の結論に達する。完璧を目指すのではなく、完璧ではない自分を認める方法論に気付くのです。そして、それは六道仙人「パズル」の新しい解釈なのかも知れません。イタチの台詞を「アイデンティティ論」とは違った観点…「六道仙人論」で読み解くなら、そういう風に解釈できると思います。

「もう9時か…」(ウルシ)

「どうした?」(イタイ)

「イヤ…さっさと
この戦争を終わらして
ゆっくり寝たいと思ってな…
オレ達末端の忍にはもう何が何やら…
詳しいことはいつも分かんねーしな…」(ウルシ)

「…まあな…
お前…この戦争が終わったらどうすんだ?」(イタイ)

「とりあえず家に帰るかな

戦争が終わって
五大国がこのまま仲間でいるなら…
ずっと任務で会えない弟も
帰ってくるかもしれないしな」(ウルシ)

「帰る所がある奴はうらやましいな…」(イタイ)

「………

お前も来るか
…オレと一緒に」(ウルシ)

「え?」(イタイ)

「オレの家は孤児院だからよ
それに弟がいたら
傷をみてもらうといい…」(ウルシ)

「………
ありがとう…ウルシ」(イタイ)

「………」(ウルシ)

(今度こそ帰って来るといいな……カブト)(ウルシ)

第587話「9時になったら」④を思い出してください。ややノリ突っ込み風にカブトがイタチの名を呼んだ後、カブトが身を寄せた孤児院の先輩・ウルシがカブトを思い起すシーンです。カブトは任務の中でマザー・ノノウを殺めてしまいます。しかし、それで全てを失ってしまったと思い込んだカブトも早計であり、余りにも情弱過ぎます。実際、ウルシはカブトの存在を認め、その能力を評価しています。何より、どれだけ時間が過ぎようとも、その生存を信じ再会を願っている。ウルシはカブトを誇りにすら感じています。カブトがそれに気付いていないだけ。意識できずにいるだけなのです。それはカブトが不器用と言うか、他者との繋がり方が分からなかった不幸が作用していると言えましょう。

普通は、それを周囲の人間とか、導く存在が補助して育むのですが、カブトは”根”などという悪辣な組織に所属していましたし、結局切り捨てて処分される運命でしたんで可哀想と言えば可哀想…なのですが、それを言うならイタチだって同じ。不平や不満を口にするよりも、もっと他に生産的な事が出来る事を、僕らは「イタチの生き様」に拠って知らされいます。しかし、それとカブトを比較してどうこう言うのは、カブトが他と自分を比較して自己弁護する詭弁と同じなので止(よ)しておきましょう。それよりもイタチの様に言葉よりも行動で、「自分」を押し進めて行く努力が人には必要なのだと思います。カブトの失敗とは他者を信じる事ができない環境…育ち方にあったのかも知れません。

人間は独りではありません。ナルトにはイルカやカカシ、ヤマト、自来也…その他諸々、メチャメチャ潤沢な人材が存在しましたし、サスケにはフガクやミコト、そしてイタチが居ました。カブトにもマザー・ノノウだけでなくウルシという「兄」が居りました。誰かは繋がる人が傍(かたわ)らにいるものなのです。それが「愛」なのだと、僕は思います。だが、人は時に繋がり方を見失ってしまう。恐ろしく近くに居るのに見えなくなってしまう。信じられなくなる。忘れてしまう。それでは「愛」がない。「愛」が感じられない。これ以上の不幸はない…と、僕は思うのです。その不全を正す為にも人には「知性」が必要であり、人と人の関係性を取り持つ「コミュ力」が重要になるのです。

「…お前といる時…

兄弟ってこんな感じかなぁ…
ってよ…」(ナルト)

「何でだ…

何でそこまでしてオレに…」(サスケ)

「オレにとっちゃ…
やっとできた繋がりなんだ

…だからオレは
お前を止めるんだってばよ!」
(ナルト)

「来いナルト…

だったらその繋がりを
オレは断ち切るまでだ!」
(サスケ)

第一部のナルトとサスケの「終末の谷」の佳境…(第26巻/58-65頁)。お互いの交わらない感情は「力」の衝突として奇しくも二人を「高み」へと誘(いざな)います。サスケはこの時、写輪眼の第三次覚醒…三つ巴文様を発現し、ナルトは九尾の衣の一本目を会得します。一進一退の末、ナルトの九尾螺旋丸とサスケの呪印状態2の忌まわしき千鳥が衝突し、二人は一旦「和解の印」を結び別れます。この時はサスケ優位でしたが、サスケの反抗期がイタチの「大切な友を殺す」という瞳力のスペックアップの条件をオミットさせナルトは事無きを得るのですが、それもイタチの嘘に塗り固められた「道標」の功績だったのかも知れません。そしてサスケはナルトとの繋がりを敢えて断つ。

それは「愛」を却下する事と同義なのだと言えるでしょう。しかし、それはイタチの思惑と同一線上にあり、同時に「うちはの石碑」の示唆に沿った行動様式であったのです。事実、サスケはそれに従う事で瞳力をアップさせて行きます。サスケはイタチの「死」によって万華鏡を開き、失明をリミットにイタチの運んできた眼を移植して「永遠の万華鏡写輪眼」を開眼します。「うちはの石碑」の示唆とはそれに止まりませんが、どうやらイタチはそれに拘束されない「未来」というものを夢想しています。恐らくそれが「予感や想像の枠」からのイタチなりの理解…解脱(げだつ)なのだと思います。だから、今生の別となる穢土転生の解にあって、イタチの「一言」は非常に重要なのです。

イタチには何としてもサスケに「繋がり」を感じさせて貰いたいのです。それは「うちはの石碑」に基づいて形成された行動様式とは全く違います。あれは「繋がり」を断つ事で瞳力がアップするシナリオみたいなもんですから。案の定、マダラはボッチになってましたよね(笑)。それは六道仙人を目指すには効率的なのです。一人で何でも為し得て完璧になるには都合が良いんです。でもそれは十尾みたいな「絶対悪」が無い限り「恐怖」でしかない。或いは無限月読に落ちた「夢現つ」でしかない。それは生前の六道仙人が抱いた疑問と重なるのです。きっとイタチはそれに気付けたのです。それを何とかしてサスケに伝えたいと思っている。その想いが「イタチの生き様」を形成したのだと思います。

イタチの最後のミッションKFB(カブトフルボッコ)はイタチにしてみてもバッチ来いだったと思います。それはまるで自分の「失敗」との闘いだったかのようです。そもそも穢土転生「泣きの一回」でも在りましたし(笑)。そこで諭すカブトとはまさにイタチであり、これから形成されるサスケの失敗作でもあった筈です。だから、イタチの言葉はカブトだけでなくイタチの胸にも刺さる。その語気は痛みを帯び悲哀に満ちる。まるで鏡に唾吐くように卑しさが自分を苛む。それでもイタチが勢いを緩めないのはサスケに同じ轍を踏んで欲しくはないからでしょう。イタチにはカブトを想うウルシを推し量ることは出来ないでしょう。しかし、その可能性は推認できる筈です。

同時にサスケに繋がるナルトの存在。それを極々普通の凡例として受け容れるならば、カブトが浪費した「繋がり」を予見でしたでしょう。イタチはサスケをカブトみたいにしてはならないという想いがあるのだと思います。穢土転生の術を解いた「今」…イタチはそれを払拭する為にのみ動く筈です。イタチはサスケに「繋がり」を教える必要があるのです。人の傍らには必ず人が居る。誰かが誰かを大切に想っている。その存在を認めてる。信じている。興味を持っている。それら諸々の「想い」というものをイタチはサスケに教えねばならないのです。それにはサスケに繋がるイタチが在る事を、サスケに何としても教えねばならないのです。きっとその繋がりはサスケの希望となる…。

僕は完成体・須佐能呼がでた時、確信したんです。これはきっと「ラスボス」だと。全盛期以上のうちはマダラとは六道仙人そのものでありましょう。うちはマダラが死んでしまったのは柱間の細胞の毒性…つまり、プロテクトの所為であり、それは大蛇丸→カブトの研究に拠り解消し実用レベルに達しています。つまり、六道仙人の再誕の方程式は既に完成しているのです。恐らくそれは水月が大蛇丸のとあるアジトで(戦局を左右する)発見した巻物に記載された内容でしょう。六道仙人は自分の再誕方法を「うちはの石碑」に残した。そして恐らくそれと真逆のミッション「予言」に課した。未だ真相は明かされませんが、千手柱間の存在も何らかの六道仙人の恣意を孕(はら)んでいるでしょう。

それらの存在を知る人共は、それを実直に実現する為に真面目に動くのだろう。しかし、その教唆を鵜呑みにするのではなく、自分で考えて答えを出す…つまり、成長する動きを、それぞれのミッションを遺した六道仙人はホントのところで期待していたんじゃなかろうか…と、僕は思うのです。イタチは死んでからなんだろうけど、それに気付いた。そして、それを何とかしてサスケに伝えようとしている。それがカブトへの説教に乗っている。イタチの言葉から発せられる熱にロースト(焙煎)されるように、サスケは(いぶ)されているのです。その先には、兄系の「うちはの石碑」が示唆する千手柱間の細胞の取り込みとか、弟系の「予言」が示す選別じゃない「第三の道」が在る筈です。

具体的に、それは「兄系」「兄系」の、「弟系」「弟系」アイデンティティを残したまま…九つに分割された尾獣がそのままでアイデンティティを保ったまま導かれる様に…サスケとナルトが融合などせず、それぞれの存在を尊重し、認め合いながら、ラスボスたるうちはマダラに対抗する未来が予想されます。トビがカブトから教えられた「穢土転生の秘密」がトビの安易なうちはマダラの召還を予見させるし、穢土転生のフェイクの解印もある種の「彩」を感じさせもします。トビの輪廻眼はマダラのオリジナルでしょうから穢土転生の発動要件は満たしています。或いはトビの命懸けの外道・輪廻天生の術だってあるかも…知れない。そして、それらの闘いはサスケが世界に恩赦される可能性を秘めています。

ガラにもなく、僕はそんなシナリオ…『NARUTO -ナルト-』の終焉というものを夢想しているのです。サスケの永遠の万華鏡写輪眼とナルトの九尾・尾獣モード。それらが個々にアイデンティティを保ったまま完成体・須佐能呼六道仙人うちはマダラと決する雌雄。それは六道仙人『NARUTO -ナルト-』の世界のあちこちに鏤めた「パズル」六道仙人の予想を違えた仕上がりになるでしょう。もしかしたら、六道仙人はそれを期待して「うちはの石碑」と「千手柱間」と「予言」を残したのかも知れません。それを期待して自分の全てをバラバラにして世界に鏤めたのではないでしょうか。六道仙人が予想でも出来なかった未来。自分の子らが自分を超える期待。それこそ「出藍の誉れ」…。

それは六道仙人の打破なのではないでしょうか。カブトの検証でうちはマダラは完成体(全盛期以上)となった訳ですし、それを実現する状況が何パターンか存在します。そして、それを打破し得るサスケとナルトもいつつある。そして、今まさに消え去ろとしているイタチの「一言」はサスケの今後に大きく関係する。イタチの「一言」はサスケを第二のうちはマダラにするか、世界との繋がりを感じさせる両極端を演出し得る「力」をもっているのです。イタチはサスケが木ノ葉隠れの里よりも重いと思っていたのです。ましてや自分の命なんか何でもない。何ものよりも大切に感じていたのです。それは「イタチの生き様」が如実に物語っています。だから、イタチ…照れるな。迷うな。誤るな。

サスケがお前と繋がってる事実を知らしめろ!!

「愛している」と言ってくれ!!

「愛している」と言ってくれ!!
ナル×ジャン ケルベロス



 

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