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第591話「リスク」①

 
<フワァ>(穢・イタチ)

<ドサッ>(穢・生贄)

「………
オレは…」
(サスケ)

「愛している」とイタチに告げられたサスケ。誰かが自分をしてくれている。そう思えるだけで人は幸せな気持ちになれる。それは自分がこの世界で独りきりではないと確認できるからです。思えば、「九尾のコントロール」でナルトが大ピンチに陥った時、八卦の封印式に組み込まれたクシナのチャクラが登場して、ナルトを落ち着かせました。忍界大戦編の我羅も穢土転生の父と再会して母・加瑠羅の想いというものを知り涙しました。イタチの御霊は浄土に還るのだけれど、それでも「ずっとお前を…」と伝えました。その「一言」がサスケにどれ程、嬉しく響いた事か。一緒に居なくとも「心」が繋がっている。イタチはサスケに「愛」を見せたのです。「愛」とは他者との「繋がり」なのです。

気持ちや想い…人の「心」なんて見えない。恐らくそれは「写輪眼の瞳力」を持ってしても…。兄系・うちはの陥る過ちとして、眼に映らないものを信じない傾向は確かにあったのでしょう。それが「心」に対する兄系の不感症…或いは鈍感さでありましょう。うちはマダラなどあれだけの瞳力を示しながら、結局、他者と繋がる事ができず「ボッチ」になってしまいました。そして、その行き着く先が「輪廻眼」だった事実を重く受け止めるなら、それは六道仙人が抱いた疑問に符合すると考えるべきでしょう。その疑問に対する答えを求めて六道仙人は自分をバラバラに砕き、世界に鏤めた。そして、うちはマダラはそれを統合し、世界を無限月読で一つにする結論に至った訳です。

勿論、その殆どは「うちはの石碑」の教唆に従ったものなのでしょうが、それを容認するのは眼に見えない「心」を感じる事のできない、ある種の情弱さに起因しているように思えます。イタチも「うちはの石碑」を解読した者として生きた筈です。そして悩んだ。一度死んだもものの、穢土転生の「泣きの一回」を得て、サスケにこうして伝える事ができた。「心」とは見えないけれど、在ると信じればある。見えると信じれば見えるのです。忍術チャクラが示す現象が「力」を誇示しようと、見えない「力」がある事も、僕らはこれまで散々思い知らされて来たではないですか!!大切なものを守ろうとする時、人は本当に強くなれる。それをサスケは「今」…イタチに渡されたのです。

問題はサスケがそれに気付けるか?です。サスケがイタチの「一言」を咀嚼し、自分の血肉に換えられるなら、サスケはこれからの人生を築けるのだと、僕は信じます。人は…傷付き、築き、築く…生き物であります。サスケは充分に傷付いたと思います。ここでイタチが残した優しさ、温かみはきっとサスケの身体に残るでしょう。そして、それは失せる事無く、サスケと共に在る。そうイタチはサスケに約束しています。恐らく、これまでイタチがサスケに施して来た事共が、その想い出がサスケに去来するでしょう。それらがサスケの痛みを際立たせ、ある時は癒しながら、サスケを更なる「高み」に押し上げる事でしょう。きっと…サスケは再生できる…やり直せる。

「まだ…間に合う…」(ep589/穢・イタチ)

イタチの想いがサスケに届きます様に(直ぐに…続く)


 

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