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第593話「復活の大蛇丸」③

 
「少し黙ってろ水月

それよりそこのカブトの体の一部
えぐって持って来てくれ」(サスケ)

「え!?

…人の言う事を聞かないのに
人が言う事を聞くと思う?」
(水月)

「ならオレがやる」<ザッ>(重吾)

「ハァ…やっぱこんなこんな感じかァ…
重吾はホントそれでいいの?
大蛇丸が復活しちゃうんだぜ?」(水月)

<ザッ>「構わん」(重吾)

「サスケの意志は君麻呂の意志だ」<ザッ>(重吾)

<スッ>「オレはそれに従う」<ズズズ>(重吾)

<ピタ>(重吾)

大蛇丸にビビりまくる水月放置しておきましょう(笑)。僕は水月の怪しい行動の数々を見るにつけ、この総八重歯君は怪しいと騒いでましたけど、水月曰く、サスケ程ではないけれど自分も大蛇丸にそこそこ気に入られた弟子で、実はいろいろと教えられた…そしてその中には大蛇丸の圧倒的な強さ…つまり、恐怖もあった訳だ。そして、肉体が滅しようと情報生命体としてのバックアップを使えば蘇れるしぶとさを大蛇丸は合わせ持っている。大蛇丸の復活など、水月にしてみれば当たり前。ただそれには外部からの手助けが必要で、わざわざそんな事、僕らがする必要は無いんじゃないの…とするのが水月のスタンスでしょう。水月は大蛇丸が恐いのです。しかし、欲しても居る…。

その両極端の気持ちは実は「愛と憎しみ」なんだろと、僕は思います。それらは実は「両極端」ではなくて凄くている。もしかしたらほんの少ししか違わない。殆ど一緒?!そのくらい似ているから誤認してしまう。それが人の行動の不可解を生む。不幸を生む…。水月の絶えず垂れ流された怪しさとは、サスケを大蛇丸として育てたい想いが誤射を交えてばら巻かれただけなんだで…FA(笑)。水月はある程度マイルドに、ある程度コントローラブル精神的な支柱が欲しかっただけなんだと思います。何だか長年の疑念が払拭され、総八重歯君が可愛く見えて来るから不思議(笑)。ま…それがこの直後に見え隠れします。やっぱ大蛇丸は偉大でありまして、いろんな「情」を持つ存在なのだと再認識しますね。

おっと、総八重歯君は放置と思ったんですが、カキカキし過ぎてしまった(汗)。ここはやはり重吾でしょうに(笑)。サスケとは君麻呂が重吾に繋いだ命…君麻呂が自分の代わりに重吾に引き合せた忍なのだと、重吾は信じているのでしょう。その意味では重吾も水月にているとも言えるでしょう。重吾の場合、呪印が自然エネルギーを取り込んでしまう仙人化による暴走に対する「恐怖」というものが心の底に(おり)の様に溜まった人ですから、それを鎮める存在が必要だと思い込んでまして、その意味で、サスケを大蛇丸の様に育て上げようとする水月の思惑と近しいと思うのです。水月の方が重吾より不純で、それが総八重歯君の放つ異臭であり、それとコントラストした重吾の無垢さだったんだな。

重吾はサスケ変えたいとは思ってないんでしょう。サスケに在るがままを求めている。自分と一緒に居てくれればいいと思っている。それは重吾が絶えず不安の中に居るからなんだけど、サスケはいつか重吾に関与する事になるんではないかと、僕は思います。それはサスケの成長をこうしてその傍らから謁見して参りました僕らには当然な気持ちではなかろうかと思います。サスケが自分の中の「暴力」をいつしかコントロールできたように、重吾だって同じ様にできる筈です。自分の中の得体の知れない「力」を克服してコントロール下に置く…それもまた人の「成長」なのだと、僕らは物語に教えられて来たではないですか。それ即ち…脱中二病なり(笑)。そこで躓(つまず)いているのが重吾なんです。

きっとサスケの生きる軌跡とは、重吾に変革を強いる事になろうかと思います。ただ、重吾の生来の鈍重さはその変化をより緩慢方向に押しやるでしょうが、重吾がサスケに従う姿勢は間違っていないでしょう。それは重吾の本能が自分の生存を懸けた選択をしてるからであって、どっかの総八重歯君とは違うピュアな感じはそこから来る訳です。重吾がサスケに付き従う行いの先に、きっと重吾自身の変革が潜んでいるものと、僕は信じ願います。またそれを選択できる重吾にも潜在的な期待みたいなものがあるのでしょう。こうして”鷹”はより強固な繋がりになって再結成されようとしています。この子らは確かに「成長」を重ねている。それを僕は物凄く頼もしく、嬉しく噛み締めながら物語を味わわせて頂いております。

「ゲェ~!!
君もだけど…だいたい何なのコレ?」(水月)

<ズズズ>(重吾)

<ズチャ>「オレの里では
これを仙人化という…
元々オレの変化(変化)もそれだ…
ただしオレのコピーは呪印化と
言ってたがな」(重吾)


「……」(水月)

ここちょっと補足しますと…カブトのカブチ丸化って、つまるところ「仙人化」だった訳です。重吾の一族はそれを才能として備えていましたが、その正体が解らないもんだから、戸惑いや恐れが自らを萎縮させていたのです。重吾はその克服策として君麻呂を見出し、ぶら下がって来た訳で、それが今はサスケに代わっただけで未だ根本的な解決には至っておりません。自分を知る事は如何に難しい事か…人の悩みとは、凡そそれに帰結するのでしょう。きっと大蛇丸もそれに悩み続けた…しかし、大蛇丸はそれを「恐れ」に留める事無く「興味」に昇華させる熱を帯びておりました。その「熱」こそが大蛇丸の凄さ、すばらしなの「正体」なのであります。そして、それを僕は「優しさ」と感じている…。

大蛇丸は重吾の一族の暴走の原因を「仙人化」する特殊な体質だと特定し、そこから抽出した「酵素」を「呪印」というパッケージにして、言うなれば「製品化」した訳です。そして、それを弟子共に仕込み、ある時は交渉の材料にし、ある時は縛りの小道具としたのです。大蛇丸はそんな「ムチとろうそく」…おっと違った…「飴とムチ」の使い方が上手な人でした。ま…その「呪印」を与えたサスケに一度殺されてしまうのはご愛嬌なんですが、あの時点で既に大蛇丸が「死」すら克服していたと考えれば、巻ノ三十八から今日までのロングバケーションを大蛇丸が謳歌していたようにも思えるでしょう。そして、それが重吾の悩みの正体を解明した「呪印」によって実用化されてた…胸熱!!!

ちなみに、カブトの体の一部を重吾に取らせたのは、「柱間の細胞」を元に大蛇丸が開発し、カブトがその毒性を無効化させ、洗練・熟成させた「チャクラの発生エンジン」と考えれば良いでしょう。チャクラとはエネルギーでして実体を持ちませんから、それを固定する為に「肉」を必要とするのだと、僕は考えておりまして、描写を観察すれば「柱間の細胞」とはチャクラを増幅したり、新たに発生させたりする「触媒」のような動きをしております。恐らく「柱間の細胞」の有用性に関しては、少なくともヒントくらいは「うちはの石碑」(写輪眼領域)に記されているのだろうと思います。そして、大蛇丸もそれを参考にして「柱間の細胞」の実用化を試みたのだと思います。

そうした研究をカブトが集大成し、イタチが居なければ満貫ツモったであろうところまで昇り詰めたのだと思います。しかし、それは完璧・イタチの前にシャッタアウトされてしまいます(笑)。これこそ、大蛇丸をして「手が届かない存在」と言わしめたイタチなのだと思います。もしも、あれがサスケだけだったら…カブトはまんまと「六道仙人」に成り上がりお話は閉じていたんだろ思うとゾッとします(笑)。しかし、イタチの遺志は確実にサスケに手渡され首の皮一枚で物語も繋がっております。その上でサスケは大蛇丸を呼び出す腹であります。アンコの身体の負担を軽減する為にカブトの体の一部…「柱間の細胞」をアンコの呪印に被せる…その優しさもイタチのをしっかりと継承するぬかり無さ。

お待たせするとアレなんでブツブツ行きます(続く)

水月は…少し黙ってろ…と(笑)。


 

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