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第594話「祖たるもの」②

 
<ゴゴゴ>

<グオオオオ>

<グラ><グラ>

<ゴゴゴゴゴ>

「さっき魔像が何か口に
入れてから様子がおかしいぞ!!」
(ガイ)

<ピクン>「………
今の…」(ナルト)

「本当なら完全な状態で
復活させたかったがな」
(トビ)

「まさか…!」(カカシ)

「よく見ておけ…
そして肌で感じろ」(トビ)

「十尾復活を!!

そして世界の終わりの始まりを!!」
(トビ)

「!!!」(キラ尾・ナルト・カカシ)

「!!!」(ガイ)



「そうか!
ならその魔像が
十尾の素体だったってことか!」(カカシ)

「ハァ!?
何だァ?十尾ってば!?」(ナルト)

僕らは散々『NARUTO -ナルト-』鑑賞し、検証して参りましたので、十尾が何で、外道魔像がどうなってて、トビが大戦下、ダルイから琥珀の浄瓶紅葫蘆(六道仙人の宝具)を鹵獲し担保したのは何故か…などなど、物語を俯瞰していればこそ気付ける部分を味わい尽くして来ましたから、今さらこんな説明など…と思えて仕方ないですが、ナルトやカカシやガイ、それに八尾・牛鬼とキラビもある程度説明しないと通じませんので、ここで僕らにとっては反芻に過ぎませんが、トビの行動や外道魔像の変化を受け容れねばならんのです。この描写は巻ノ一から一通で読み倒せば必要だと感じられると思います。僕らにとっては余計だけどナルトやカカシには必要なんですよ。

しかし…キッ神がこのタイミングで(映画を含む)、この描写を出すのはキッ神にとっても帳尻合わせの感が強いと思います。嫌らしい考え方をするなら、今週の行のように新しい展開を創り出すのはなく、今あるお話との整合性を強化するという手法は今夏の映画のプロットを捻り出したキッ神のご苦労と似ていると思います(笑)。しかし、外道魔像が十尾の素体(最も基本的な体)だとか、トビがヤッツケで外道魔像を解放したのなんて、僕らにとっては別に新しくない…。こういうのはジワジワと織り込んで感知されにくく埋没させて欲しいなと、僕は思うんです。僕の知るキッ神なればこんなチョイスはしないので、鼻に付いて仕方ない。これは描く側じゃなくて編集サイドのオーダーだろうと思います。

ま…考察においてキッ神が描くの描かないのをあれこれ考えるのも野暮なのでスルーしてください(笑)。でも、アレッ!?と思った方は多いかと思います。特にナル×ジャン読者はかく在って頂きたい(笑)。この違和感。これはキッ神の御業では決してございません…と思います(汗)。ま…どうでもいい拘りなんでアレですが、こんだけ週ジャンがキッ神の作品でてんこ盛りなのに、キッ神が手塩に懸けた(と言われる)映画が公開されるのに…全く萌え盛らないのは何故!!??実はこの感覚が共有できたらさぞかし気持ち良いだろうなーと想像しちゃうんです。こんなこと考えてるから友達がいないんですかね(汗)。でも、曲げられん。変えられんのだ…この忌まわしき自己を(笑)。

描写で示された通り、外道魔像は十尾の素体であり、復活の器。牛鬼や九喇嘛なしに代替品で発動は一応可能だったようです。外道魔像が苦しんでますが、それが何を意味するのかは今のところ不明です。ただ、うちはマダラにしても、輪廻眼の外道・輪廻天生の術ではなく穢土転生の術(の再契約)で復活してしまった訳で、似たような感じで外道魔像も八尾と九尾は代用品で復活を余儀なくされた。奇しくも、マダラもトビも「仕方ない」舌打ちしてるんです。どちらも盤石でなく不完全に復活した事で世界は救われた…首の皮一枚ではありますが(汗)。そして、描写は描写の通り。特に説明する必要もなく、ナル×ジャンの必要もありません(笑)。微妙に手持ち無沙汰なのは何故(笑)。

皆様…暑き折、お身体にはご自愛を。

これは飲みながら話す内容だとあれほど!!(笑)

面白くないけど続きます(ダラダラ)。


 

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