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第597話「時空間忍術の秘密」⑤

 
「悪いが…
こいつはてめーの言葉には
当てはまらねェ」
(九喇嘛)

「…九尾か…!」(ガイ)

「!」(カカシ)

「…………」(トビ)



「ナルトは四代目の託したワシを…

ダチにしたあげく

ワシの力を使いこなした!!」
(九喇嘛)

「!」(ナルト)

「四代目はお前を倒す力として
ワシをナルトに封印したのだ!


行け…ナルト!

てめーは失敗なんかしねェ!!」(九喇嘛)

<バッ>「オッス!!」(ナルト)

十年を越える年月をナルトと過ごした九喇嘛の気持ちとは、毎週月曜日を楽しみにする僕らと同じ。そう感じると途端に九喇嘛が愛おしくなる。それは僕らが一様にトビの無粋なシャベクリに抱いてた不満を見事に晴らした。トビ月の眼計画で世界を一つにしようとしているんだろうけど、そんな事しなくたって一つになれる…かも知れない。それはナルトみたいなカリスマが居て、それに期待し信じれるなら成るのだと、トビがその至らなさによって実証したようなもんだと、僕は考えています。その意味でナルトはトビとは違う…誰もができないのにない事を成し遂げてしまう特殊な存在である事が解ります。僕はアイデンティティを考える時、ちょっと虚しくなるのはトビ寄りなのかしら(笑)。

間違っても僕はナルトみたいには成れません。才能とか素養が全く違う。血筋もぱっとしない。ましてや八卦の封印式なんて刻まれてませんし。だから、自分は何でも無い、取るに足りない人間なのだ…と受け容れる事がアイデンティティなのだと、僕は考えていました。しかし、それは穢土転生によって泣きの一回を得たイタチ兄さんの説法によって却下される事に成る。アイデンティティとは何でも無い自分を許す事なのだと。自分ができない事を許し、それを蔑ろにしない為に誰かに託す必要がある。その為に人と人はがり補完する必要があるのだと。イタチ兄さんに僕は教えて頂いた。その説法をトビは聞いてないんです。それが今後のカブトとトビの違いになるのだと、僕は考えています。

それは忘れてもらってもいいんだけど、トビは自分が一番になれないと仕方ない(どうしようもない)とする泥沼に漬かっているのだと思います。それはそのまま「うちはの石碑」の全文を通した信念でありまして、うちはマダラがいる以上、何もかもが無意味であり、生きてること自体が正気の沙汰でない。だから、全世界を夢に落とし「個」というものを無くそうとしてるのであります。その意味で、うちはマダラの考える無限月読とトビの企図する月の眼計画は意を同じにはしないでしょう。それ故、トビうちはマダラと協調して戦わないのです。トビは自分の存在が無意味だから、誰でもない。誰でもいたくない…と言うのです。それは胸を張って「うちはマダラ」を名乗るマダラと根本的に違います。

トビにはナルトが理解できなのだと思います。だから、ナルトを正当に評価できない。対して、ナルトの年齢と同じ年月を共に過ごした九喇嘛はナルトがどんなに凄い糞ガキなのか理解できるのです。何せ九喇嘛の心を動かした…正確には九喇嘛に心を与えた(ex;陰のチャクラ)…のだから!!ナルトをみくびる事は九尾・九喇嘛をみくびる事だ!!とでも言わんかのように憤怒の情を九喇嘛トビに向けるのです。やはり、そう九喇嘛に誰もが思わせる事は出来ないと思うのです。逆に言うとナルトは特別なのです。それを踏まえた上で、ナルトと同じようにやれなくていい。できない自分を許す事ができる。そして、ナルトのようにはできないけれど、僕にだって出来る事がある。それでいいんだ。

そう思え、自分を維持できるのがアイデンティティなのだと思います。それは諦める事ではない。誰かに成るのではなく自分を許す。そこからホントの人生が始まる。イタチはそれを懇々と訴えて果てた。トビが失敗とか蔑ろとか恐れるのは、ボッチで何事も完結させようとしか考えていないからです。そんなだからナルトが信じられない。ナルトがこれまでして来た事を受け容れられない。その態度に九喇嘛は憤懣やる方ない訳です。少年少女にナルトみたいに成れ!!とは言わないし、成って欲しいとも思わない。自分が出来る事をやればいいと思う。しかし、それは少年少女の可能性を否定するものでもない。ナルトみたいに成れる子が居るんなら、それは喜ばしい事でもある。

その時は僕はこう言うだろう!!「オレが育てた!!」と(笑)。僕は自分が今だに中二病患者だと思ってるし、別に中二病を蔑んでもいない。誰もが中二病でいいとも思ってる。でも、いつかその病を脱し、真の自分と対面し、地に足を着けて立ち、歩む時が来るんだとも思ってる。きっと、そこには誰かを馬鹿にしたり見下す気持ちもなく。遥か彼方に燦然と光り輝くカリスマを恨めしく嫉む卑屈さも無いのだろう。どんな時も気高く、としたアナタが居る筈だ。自分の役割を見つけ、自分だけでなく他者をも認められる人格を得ている事だろう。しっかりとした「個」が確立すれば、それらが自然にがる。誰かが誰かを尊敬し、助け合い、想い合える。人はそれだけで繋がれるのだ。

十尾のチャクラとか、大幻術・無限月読とか、月の眼計画とか、そんなもの必要ないのです。誰よりも出来る必要もない。できない者を馬鹿にする事も無く、できる者を羨む必要もない。人生とは必ずしも平等ではない。しかし、平等である必要もない。人と人は同じではないからだ。人と人は違うのだ。違うからこそ助け合えるのだとも言える。人と人が違うからこそ許せるのだし、許さなければ始まらないのである。そんな簡単な事が「うちはの石碑」には書いてないのだ。何でも見える眼を持ちながらトビは眼を閉じているだけなのだ。何もしない事が、何も無い世界が美徳だと思い込んでいる。蔑ろの意味をトビは履き違えている。それが九喇嘛には腹立たしい。失敗などない!!人の行いはいているのだから。

ナルトとがれた九喇嘛にはそれが解るのだ!!

第597話「時空間忍術の秘密」
ナル×ジャン ケルベロス


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