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第600話「なぜ今まで」③

 


「誰だってばよ!?」(ナルト)

「オレ達の同期で
木ノ葉の忍だったうちはの男だ

前の戦争で戦死したハズだったかが…」(ガイ)

「………
生きていたなら…

なぜ今まで…」(カカシ)


「オレが
生きていたかどうかなんてのは

どうでもいいことだ

しかし…そうだな…
なぜかとあえて問うなら」(オビト)

「…………」(カカシ)

「………」(カカシ)

「………」(オビト)



「お前がリンを…

見殺しにしたから

……だろうな」(オビト)

「…………」(ガイ)

「フフ…早まるな

それにそんな顔をするな
カカシ……」(オビト)

「………

オレを責めないのか…?」(カカシ)

「何をどうしようと、岸本先生の勝手といえばそれまでですが…」と、ある有識者が仰っておりました。やはり、ファンそれぞれが何処かしらに想い入れを感じ、作品を愛でているのは事実でありまして…。逆にそんな風にあたかも自分の身体の一部分が如く感情移入して味わえる作品であるとも言えまして、それを、さも消費者の権利みたいに誇示して騒ぐのも大人げないし、かと言って対価を支払う顧客を蔑ろにするのもがない。サッカーのサポーターが12人目のプレイヤーと自負し騒ぐのは個人的に余り好きではありませんが、『NARUTO -ナルト-』ほどの作品になってしまったからには、作り手だけが主張するのもアレですし、読者が被害者意識を剥き出しにするのも某国みたいで好みません(笑)。

先のサッカーのサポーターに余り好感が持てないのは、余りにも「一体感」が勝ち過ぎるというか、皆が同じ夢を見なきゃならないみたいな強迫観念が強く感じられるからです。「勝つ!!」という方向性は同じでも、静かに観たい人だっています。騒がしく誰よりもデカイ音を出した応援者が真の応援者だ!!みたいな自らを決めつける態度も独りよがりと言えば独りよがりです。「祭」のように、ある種の高揚感の中に自己を埋没させ一体化する(解け合う)行為は確かに人間社会に存在します。ただそれは限定された時空間で許容される行いであり、渋谷のスクランブル交差点や公共交通機関の車内で罷り通る物ではない。僕が嫌悪する雰囲気は、オビトが目指す「月の眼計画」に対するそれと似ています。

人にはそれぞれ「心」がある。それを無視すると、善かれと思う気持ちのお世話が「大きなお世話」になるのです。それでは勿体ない。誰にも「心」が在る訳で、だからこそ「善かれ」の老婆心というものが一様に存在するのです。ナル×ジャンもその一心で稼働しています。でも、それが誰かを制限や抑制してしまってはならないと、僕は常に自分を戒めております。だから、キッ神の「心」の自由も、それぞれのファンの「心」の自由も等価であり、対等であるべきです。皆が同じ考えや気持ちである必要はありません(もしそうだったら逆に気持ちが悪い)。キッ神は思うまま作品を生み出せば良い。しかし、ものには「限度」もある。確かに『NARUTO -ナルト-』は引き際を逸してしまったと、実は僕も感じています。

あーッ!!言っちゃった(笑)。事実、これまで数々の有識者樣方が『NARUTO -ナルト-』から離脱されています。その方々の「心」を僕は無視してはならないと思っております。嫌なら見なければ良い…そんな情けない口上は場末で八流の捏造限界を垂れ流すナル×ジャンだけで沢山です。キッ神が、『NARUTO -ナルト-』が、それを言っちゃ〜ぁお仕舞いよ!!(笑)そういうレベルじゃないですから。何故なら『NARUTO -ナルト-』「命」を宿した作品だからです。二次元の物語ではありますが、その世界観の中で愛すべきキャラクター達は日々成長しています。そして、自然や世界は一本筋を通して整合性を保っています。紙面の中でそれぞれが生きているのです。これは最早、「生命」なのであります。

『NARUTO -ナルト-』は血の通った命ある作品なのであります。そう考えれば、『NARUTO -ナルト-』という作品の「心」の存在を僕らファンだけでなくキッ神も認めるべきなんだと、僕は思うのです。しかし、それは狂喜乱舞する怒鳴り声の中で得られる一体感でも、幻術が世界を夢を見せるものでもありません。個々が自分の存在を意識し、そして、それに繋がる誰かを認め尊重する。個と全体がそれぞれ感じ合う中で真のアイデンティティは形成されるのです。お互いがお互いを認め合い、許し合う。その謙った考え方が「限度」と言う概念を自然に生み出すのだと思います。それを僕らは「良識」と認識している筈です。だから、「これ以上ぶち壊さないで欲しい」とする有識者の心の叫びを捨て置けません。

それは『NARUTO -ナルト-』という作品の「心」が上げた悲鳴なのかも知れません。こういう考えをどう受け取るかも自由です。僕はmjd『NARUTO -ナルト-』が閉じるまで見守るつもりだし、面白いと感じる部分を拾いまくって膨らませます(笑)。それが僕の役目だと思っています。ま…またまた暗号めいた記述はこの辺にしまして、何やらリンちゃんの死にカカシが無関係ではないらしい。それをオビトが知ってて恨んでる。カカシはオビトに責められないのを不思議にすら感じている。こりゃもう、外道魔像の覚醒とかそっちのけで黒バックの回想のスタートでしょう(笑)。だ、誰かお茶いれてあげてーッ!!(笑)こういうのはどんなに忙しくてもしっかり聴くのが『NARUTO -ナルト-』なもんで(笑)。

トビが面割れしてオビトと知れて、カカシが何やらキョドって怪しかった…。しかも、オビトがカカシの女々しい墓参の口上すら認識してるって事は、あの事も知ってる筈。賢いカカシがそこまで一気に想定するのは変じゃない。きっとオビトは自分の行動を見張っていたんだ…カカシの背筋を冷たい汗が<ツツーッ>と伝うのが解ります(笑)。カカシがそんだけオビトに後ろめたく思うのってリンちゃんしか考えられないし、既に死亡した筈なので、その死にカカシが絡んでる…少なくとも無関係ではないって事です。カカシ本人は責められても仕方ない…否…責められて然るべきという認識のようです。それがどんな提示であろうと受け止めますが、それが「良識」あるものであることを切に祈ります。

離脱を余儀なくされた有識者の御霊に捧ぐ。

続きまーす!!(外道魔像は放置)


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