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第601話「オビトとマダラ」①

 
「アレは…」(カカシ)

「!?」(ガイ)

「!!
こ…こいつは…

マダラだ…!!」(ナルト)

「穢土転生の術に逆らうとは…
実にアンタらしいな」
(オビト)

「……
そんなことより」(穢・マダラ)

「何で…!!?
何であっちのマダラが
こっちに居んだよ!!?」(ナルト)

「!」(穢・マダラ)


「マダラ…!
あの…マダラか!?」(カカシ)

「こいつも影分身だな…

本体はどこだ?
オビト」(穢・マダラ)

「!」(カカシ)


「おい!ナルト!
だとしたら…」(キラ尾)

「向こうの皆はどうした!!?」(ナルト)

「…ブラザー…」(キラビ)


<ゴゴゴゴ>「どうしたかって
聞いてんだ!!?」(ナルト)

「さあな…おそらく―

無事ではあるまいな」(穢・マダラ)

うちはマダラの加勢…これが何を意味するか…それを考えると、僕は「詰み」を意識せずには居られませんでした。ここに居る八尾と九尾はられる…ってことは外道魔像が完成して完全な十尾のチャクラが得られて世界は無限月読の夢に沈む…でも、これは『NARUTO -ナルト-』だから、そうはならない…だってナルトがどうやって世界を救うかを描く漫画ですよね…と、ひねたガキの様な言い訳を呟きながら、僕は冷めたラテを<ゴクリ>と喉に落とし込んだ…と、ちょっとハードボイドゥドなタッチで書き始めてみましたが、どう見てもヤバイ…881…ヤバ過ぎます(笑)。うちはマダラが全盛期以上に加工され、それが穢土転生経由で無限のチャクラを有しているんですから、もしやこれは六道仙人をも超える…。

…そう考えて差し支えないと思われます。忍術が罷り通る世界観において、それを最大限に尽くしたのが、今、目の前に存在するうちはマダラだと、僕は考えています。これを打ち破るには「本当の変化とは規制や制約…予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない」とのイタチが残した言葉を拝借するなら、正真正銘に型破りな「力」が必要になると思うのです。そこで傍と思い出されるのがうちはイタチ波風ミナトの生き様…と言うか…死に様であります。彼らはどちらも希代の大天才で、一騎当千…否…その枠に収まり切らない型破りな存在であったと思います。その両者がその命と引き換えにしてまで送り出した「命」があります。僕らはそれを『NARUTO -ナルト-』で賞味して参りました。

イタチが遺した「命」とは「うちはサスケ」であり、波風ミナトが遺した「命」「うずまきナルト」なのであります。イタチは病魔に冒されていたようですが、ミナトは全くそんな感じはなかったです。お初の子供が生まれて、父親似なって、さあこれから!!という矢先の「九尾事件」で潔(いさぎよ)過ぎる死をカタパルトにしてナルトを撃ち出しました。その時、戦って、その力量に恐怖したのが、もしかしたらオビト・トビだったのかも知れないのでアレなんですが、イタチミナトも遥か彼方先…いつぞや、今、我々が相まみえる(全盛期以上の)うちはマダラが再臨するのを見越す様に行動していた様にも思え、マダラの降臨が逆にサスケとナルトの存在を浮き上がらせている様に思えてならんのです。

もしかしたら、イタチミナトもこの時の為に造られたんでは…サスケには「うちは虐殺」(=闇)を。ナルトには「九尾事件」(=八卦の封印式)を。それぞれに艱難辛苦(かんなんしんく)を両者が与えたもうたのはこの時の為では…と、まるで僕は聖書を読み耽る様に『NARUTO -ナルト-』に触れているようで、天地創造のお膳立てをイタチミナトがしたかの様な錯覚なのか何なのか…デジャヴュなのか…と一瞬、見たような気がしました。その昔、六道仙人が存在し、安寧秩序を築いていた…にも関わらずお隠れになったのは、唯一無二の存在が反証する方法を見出せなかったからだと、僕は考えています。それは六道仙人大きな疑問と不安を植え付けた。それが彼の死の引き金なのだと思います。

そして、六道仙人「うちはの石碑」「予言」を遺しました。そして、「うちはの石碑」うちはマダラを完成させ、イタチがそこから枝分かれさせた流れがうちはサスケであり、もう一方の「予言」ミナトは最大限に解釈してうずまきナルトを創り上げた。それが、穢土転生の術のイレギュラーではありますが、曲がりなりにもマダラが再誕した。その現実に応えるには現有する「力」では如何にも足りない。「規制や制約…予感や想像の枠」を超えたうちはサスケやうずまきナルトこそが、いつか生まれるであろう「うちはマダラ」に抗する唯一の「力」なのではないだろうか…と、僕にはどうしても思えてならんのです。しかし、サスケは「真実」を求めて大蛇丸のナビゲートで旅を始めたばかり…。

サスケとナルトが揃わない戦場にうちはマダラが登場した…それは向こう側の「詰めろ」であって、ナルトにしてみれば手が足りていない状態であります。これはマズイ!!ヤバイ!!881(→先頭にループ…笑)な訳です。背中を冷たい汗が伝う…それを制したのが、マダラが久しぶりに会ったオビトに零した「こいつも影分身だな…」でありました。「も」ですんで、ここに出現したうちはマダラ影分身だし、勿論、二尾〜七尾までと「心」を重ね「約束(のチャクラ)」を交わしたナルトも影分身あのであります。これは大ピンチなのだけれど、それはカカシやガイ…そして八尾・キラビに限ったお話に成り下がってしまいました(汗)。特にキラビには…悲しいけど…どデカイ「死亡フラグ」がおっ立ちました(脂汗)。

でも、そう読み解くと、やっぱこれは『NARUTO -ナルト-』なんだ…と落ちつける訳です。影分身なんて忍術がチート設定なのは端から承認済みですから、影分身でもナルトはこんなに強いんだぜ!!と伸び代を残したようでもあり、ここで旧勢力が一掃されて、ナルトが何とかしてサスケを説き伏せてうちはマダラをうっちゃる路を残せたんだと思います。五影は案の定、血の海に沈んでおりますし、それはマダラが絶対的なラスボスなのだと納得出来る材料でありましょう。そして、影分身のナルトは救われ、マダラを倒す為に智慧を振り絞る必要性に駆られる筈です。そう来なくちゃ!!それに無くてはならない存在がサスケであり、しかも…いい感じに仲人大蛇丸がキャスティングされてるファンタジスタ!!

カカシは今まで自分の目の前で躍動していたナルトが影分身だなんて思っていなかったようです。完全にナルトはカカシなどを飛び越してしまった。そういうぶっ飛んだ存在として完成されつつある。恐らくサスケだってそうなのでしょう。だからこそ、大蛇丸はサスケの才能を欲するのではなく、更なる高みへとナビゲートしようと知的好奇心をくすぐられるのでしょう。もう届かないから、せめて…みたいな心情なんじゃないでしょうか。僕には何だか解るな…。真に才能在る者の輝きの眩しさ、恨めしさ…その先に在る…希望…。憧れでもいいや…それを応援したいと願う気持ち。多段式ロケットの何段目かが更に上の段を押し出すみたいな…これも人の本能なのかも知れません。

上手く言えないけど流れがっている。

釈然とせぬままきます(ゴメン)。


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