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第601話「オビトとマダラ」②

 
「うっ…」(綱手)

「…!」<ムクッ>(綱手)

「……ハァ…」(綱手)

<クチャ>(綱手)

<スッ>(綱手)

<トン>(口寄せの…術…)(綱手)


<ボン>(カツユ)

「!!?ツナデ様!!」(カツユ)

「…カツユ…頼みが…ある」<ハァ><ハァ>(綱手)

「ハイ!

すぐに体をくっつけて—」(カツユ)

「違う…私の半身は後で…いい…
それより…」(綱手)

「私の…所へ

影たちを」
(綱手)

「私なら…まだ…救える…」(綱手)

案の定…案の定完成体・須佐能呼を拝んだ五影はフルボッコ…きっと猫が小蟲を戯れ殺すように五影は血の海に沈んだようです。しかし、綱手には微妙に息がある。そして、カツユを呼び出し、自分の蘇生を後回しにしてでも他の影を救う算段をしています。きっと綱手の創造再生が綱手以外にも有効であり、失われた臓器すら簡単に再生可能なのでしょう。それって綱手がダンを目の前で死なせてしまった後悔が生み出した医療忍術だからだと思います。綱手は縄樹→ダンの死が人生のひとつの転機だったのでしょう。綱手は賭博に傾倒し、木ノ葉を出てヤサグレた期間にダメージ(傷)を如何に回復するかを極めたのだと思います。綱手が賭博にハマったのは、それが「お金」を懸ける戦いだったからだと思います。

「命」を懸けなくていい。それは綱手にとって安楽な環境だったでしょう。誰も死にません(特殊な場合を除いて…脂汗)。きっと綱手は良いとこの子だったので「お金」はかなり潤沢に調達できたんでしょう。負けても「血」の流れない戦い…それは綱手が本来持つ闘争心を平和的に解決する合理的な手段だったのかも知れません。綱手は酔狂に実を窶(やつ)しながら、きっとダンを救えなかった自分を責め、その背面ではダンを救える様に医療忍術に身を窶(やつ)していたのでしょう。自来也に捕捉される頃にはかなり資金には困窮していたようですが、それでも手放さなかった「柱間の首飾り」。やはり、それは千手の姫としての分別でしょう。その尊き血が綱手の臥薪嘗胆を支えたのです。

しかしながら、綱手は医療忍術を極め、自分や味方…大切な誰かのダメージを治せたとして、治った自分や仲間はまた敵を殺すのでしょう。綱手は仲間を救ってると、自分の心が救われるんでしょうが、綱手が取り戻した命は別の命を奪う「力」でしかないのです。それと綱手や仲間を殺めようと放たれた「力」と何処が違うのでしょうか。癒す「力」だろが、殺す「力」だろうが「力」「力」でしかないのです。今、こうして「私なら」と自らの「力」を振り絞れる綱手には、その愚かしさが理解できていないように思えます。生かそうが殺そうが、忍術を得た者がそれを諍(いさかい)いの「具」としか活かせない「愚」に皆が気付けない内は、どんなに足掻こうと「平和」には辿り着けない。

きっと、その程度であれば六道仙人が齎した「安寧秩序」で為し得ていたでしょう。しかし、それに満足できなかったからこそパズルを遺し逝ったのだと思います。忍術に関わる人々の考え方の転換…つまりは、パラダイムシフトが存在しない限り、「痛み」「痛み」を増殖させるだけなのです。ところで、長門がそれに折れたのは”暁”が長門を良い様に加工したからなんだけど、それはある程度のレベルで長門を抑制してマダラの復活の道具にしようとしただけなんですよね。資質や能力的に長門は充分に救世主たり得た筈なんですが、それはマダラの「オレが!!オレが!!」にへし折られてしまったようです。ま…その手先のダンゾウとか半蔵が実行犯なんだけど死人に口無しですな(笑)。

穢土転生の術は二代目火影・千手扉間が考案し大蛇丸が大成したようですが、きっと「死人に口無し」忍術的に「死人に口在り」としたかったんじゃないでしょうか。例えば、扉間は柱間に尋ねたい事があった…その一心で穢土転生の術を編み出したんじゃないかと思います。こうして五影ですら簡単に死んでしまうご時勢ですから、多くを語らずにあの世に行ってしまった人はことの外多い筈です。しかし、それを大蛇丸は手ゴマに換える欲を持っていて、カブトはその部分を発展させて実用化させたのだと思います。元はと言えばめちゃくちゃ特殊な柱間に、その弟の扉間がいろいろと質問したかったが為に編み出されたのだろうけど、それが忍術だったから、「愚」と化してしまったと言うのがオチなのかも。

僕は綱手たちが、マダラに切り刻まれて果てているべきなんだと思いました。綱手がどのような才能を有し、それを如何なる努力と精進をもって押し広げて「創造再生」という医療忍術を創り上げて来ようと、その御業がどれだけ大切な「命」を救おうとも、それは「命」を蔑(ないがし)ろにするものでしかないです。身体を真っ二つに裂かれたら人は必ず死にます。それを「すぐに体をくっつけて—」みたいに言えちゃうのってオカシイです。忍術があるから「命」簡単に断たれ、簡単に繋がれるのです。何でも便利に都合良く弄くれる忍術なんてのが存在するから「命」が軽くなるのです。簡単に死なないから、簡単に傷付けてしまう。何がいけないかと…敢えて言うなら、忍術がいけないんだと、僕は思うのです。

月曜日は仕事が忙しいので火曜日に続く(汗)。

 

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