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第602話「生きている」②

 
「…!!」(オビト)

「……」(マダラ…一応)

「その眼…!
まさか…じいちゃんも
…うちはの…?」
(オビト)

「さあ…どうだろうな…」(マダラ)

(おれを助けてくれたのか…?
イヤ…でも…)「…あの世との狭間って
言ってたよな…」
<キョロ><キョロ>(オビト)

「どこなんだここ…?
暗くてよく見えねーし…」(オビト)

「それに…じいちゃん…
いったい誰なんだ…?

ヘッ!もしかして死神じゃねーよな…?
天国か地獄に連れてくって言うアノ……」(オビト)

「………」<キラン>(マダラ)

「イ”ヤ”ー!!!
まだ死にたくないよォ〜!!!
助けで〜!!」<ジタ><バタ>(オビト)

「鎌とかチラって見えたし〜!!
ぜってー死神だよォ〜
うちは専門の死神だよォ〜!!!

オレ…
オレ困ってるお年寄りを助けるのを
モットーに生きてきました!!
確かに悪さもかなりやったし
決まりを破ってばかりだったけど…
差し引きイーブンってことは
ないと思いますっ!!
どーか地獄だけは!!」(オビト)

何とかして助かったオビトの前にいる老人…本人は自分を「うちはマダラ」(後述)と名乗っておりますが、これが「うちはイズナ」だったら画期的ですな(いくつかタレコミ乙)。しかし、外道魔像に繋がる蓮華座に柱間の生きた培養体を埋め込み、生命力に溢れるチャクラの供給を受け、神無毘橋の戦いの時系列まで「うちはマダラ」が存命していても良いと、僕は考えています。穢土転生で召還された「うちはマダラ」の外見がこのじいちゃんと比して若かろうと、穢土転生とは魂の外形を塵芥が覆いその貌を成す術でありまして、置いさらばえて外道魔像と柱間のチャクラで生き長らえ、老いさらばえた老人の姿を再現する必要は在りません。この老人の凛とした態度。風格。佇まい。この老人の内面…それを支える魂の貌は肉体の老化とは無関係でありましょう。

もし、このケルベロスを将来、誰かが穢土転生で召還してくれる事があるなら、僕は少年の姿で再び現れるかも知れない。こんんなにも恥じらいの無い、分を弁えない僕の行いとは凡そ社会性とか分別を無視しておりまして、それは僕が携える「情」(じょう…僕は自分が「情」だけで立っている人間だと考えています)を、その心が思うまま吐き出す無邪気で成熟しない若僧…それを良いように表現するなら…少年なのだろうと、恥ずかしながら思っております。年甲斐も無く、何もかも弁えず、良い意味でも悪い意味でも邪気が無い立ち振る舞いは、僕のが成した態(てい)であり、それがリアルの社会で疎まれ避けられ気持ち悪がられてるんですが、僕は成熟出来ないまま齢を重ねた不完全体なんだと思っとります。

過去に「ピーターパン症候群」というのがありましたが、そこまで夢見心地ではなく、いつもピチピチの格好をしてる訳でもなく、一般的な社会に上手に紛れて(一応)生きておりますが、もしも穢土転生で呼ばれるなら、僕は少年の僕で悪態を吐くのだろうと、個人的に期待しています。それは僕の魂の貌に対する期待であります。今の外見じゃない。どんな風に生きてるか?生きようとしてるか?という事は凄く大切な事なんだと思います。それを赤裸々に穢土転生は表現してしまうから面白いです。だから、オビトの目の前の老人「うちはマダラ」であり、この老人御霊を人柱に降ろせば、マダラ△の姿になるくらい、この老人の野心とかバイタリティは、五影フルボッコの「うちはマダラ」な訳だ。

また穢土転生で絶命した段階の外見が再現されるのだとすれば、”暁”のサソリなぞ朝鮮人参みたいな「コア」で呼ばれるでしょうし、デイダラが気持ち大人びてた(と、僕には感じられたんだな)と思われるのも、あれがあやつのホントの魂の貌なんだと思われ、御霊=魂の貌(かたち)とは、生物学的な老いとは関係なく、その人の「生き様」そのものなんだろうと思えます。だから、ケルベロス少年には当たらず、腹の出た脂ギッシュな酔っぱらいでも良い訳で、もし穢土転生で呼ばれる日の為に一生懸命やらねばとも密かにキモに命じるのであります(笑)。何だか希望的観測過多の自分語りになってしまいましたが、一度、先入観をなくし、一応「うちはマダラ」とするこの老人が誰なのかを含め…

曇り無き眼で見つめ直しましょう!!

小刻みにネチネチと続きます(死神乙)。


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