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第605話「地獄」②

 
<ザーーーーーーーー>

「リン」<ガク><ザッ>(カカシ)

<バ><シュ>(オビト)

<スウウウウウウウ>(カカシ/オビト)

<フッ……>(カカシ)

<ギン>(オビト)

<ドサッ>(カカシ)

「ウォオオオオオ」(ここは……)(オビト)

「!!?」(霧暗部)


(一体ここは…)(オビト)

「オオーーー……」(何だ…!?)<バシュ>(オビト)

リンちゃんのご臨終シーンに臨場したオビトと、その当事者であるカカシがシンクロしたかのように二つ巴文様から三つ巴文様に変化し、それがそのまま万華鏡写輪眼を開いてしまいます。これはリンちゃんの死に二人が「多大なる後悔」を感じたからだと思われます。ここでふと疑問が湧いてきました…カカシが単独でいろんな修行や体験をしていて、カカシの左眼の万華鏡を開けたのだろうか?…と。左右の眼が揃って初めて本来の能力が発揮できるのが写輪眼であるならば、隻眼のカカシは不完全な状態であります。また、二人の万華鏡写輪眼の開眼がキレイにシンクロする描写は、カカシの視覚情報がオビトにリンクしていた事実と併せて、二人が同じ場所に居合わせた条件を際立たせます。

例えば、左右の写輪眼は同じ条件下でなければ、上位覚醒できない…とか、写輪眼にはステップアップの条件があるんじゃないどろうか…と思ったりしています。思えば、デイダラがイタチの写輪眼を「美しい!!」(けど…認めねー!!)と感じたのは、その完璧なるまでのシンメトリーにありました(断言)。そんな写輪眼が左右別々に独自に進化発展して行くよりは、左右同時に上位覚醒する方が、やはり美しい(笑)。そして、その為に「同じ条件」が必要だった?!と考えると、オビトがグルグルのサポートと白ゼツのナビゲーションで、この場に臨場できた意味は決して見過ごせる大きさではなくなります。つまり、これはオビト(とカカシ)の写輪眼の能力開花を企図した(うたげ)だった可能性がある。

カカシは兎も角としてオビトを、マダラ(仮)は手先として一生扱き使うつもりだったから、そのポテンシャルを最大限に引き出す必要があった筈です。そもそも、オビトは「うちはマダラ」直系の子孫ですから「銀の匙」をくわえて生まれて来た子です。そんなオビトがドジで時間にルーズなお人好しキャラだったのも、落ちこぼれでドベのナルトと奇妙な符合を示すのは興味深いです(笑)。余談は兎も角、少なくともマダラ(仮)にはオビトの遺伝的素養=オビトの可能性に懸けてみたかったんじゃないかと思います。オビトは血統としては申し分ありませんから、取りつく島があるからです。もし仮に、それでもダメなら他を当たればいい。「予言の子」と一緒で”数うちゃ当たるの法則”の発動ですかね。

万華鏡写輪眼の開眼を機に、カカシがシャットダウンしてしまうのはカカシの疲労度もありますが、もっと言うとチャクラが足りない…質的にも量的にも…からだと思います。対してオビトが怒りに任せて、万華鏡の瞳力を震えるのは、オビトの欠損部位を補う柱間の人造体と、脆弱なオビトのフィジカルを支えるグルグルが「柱間のチャクラ」を供給するからでしょう。そしてカカシが第二部に入ってようやく「神威」を発揮できたのは質的、量的なチャクラの準備が整ったからだと考えれば、第一部と第二部の間に必至に修行した成果を愛弟子…ナルトとサクラ…に吹聴した(ちょっとお寒い)描写とうまーく符合しますね(笑)。そして、ここからオビトの開花した才能がややもすると暴走します。

オビトには柱間の人造体が組み込まれています。大蛇丸の研究に拠れば、それが人体を侵蝕する有害さを合わせ持ち、柱間の細胞の人体への侵攻を抑制する対策は必要になります。しかし、それにも例外がありまして、それが僕らの知る「ヤマト」なのであります。今にして考えれば、ヤマトの出生や素性はぼんやりとしてて余り語られていませんね。でも、『NARUTO -ナルト-』世界観として「血統ありき」なところがありまして、ヤマトが初代・柱間と繋がっていた可能性あっても良いでしょう。同じようにマダラ(仮)期待したオビトのポテンシャル(潜在能力)も、その「血統」に拠るところが大きい。しかし、こういう風に考えてると、僕みたいな凡人は息苦しくて仕方ないです(笑)。

…ってか悲しいですよね(笑)。しかし、お話の深部に、そのような悲哀が淀んでいる事も確かでありまして、じゃあ、それをどうしましょうか?というような、ジワッと滲むような疑問がきっとこの壮大な物語の落とし所なんじゃないだろうか…と、僕には思えるんです。また、それらは才能や素養を全否定するものであってもならないと思うんです。それはそれで尊く大切な人それぞれの個性なのです。でも、それだけじゃないよねとも思います。少年少女には是非とも、そう思えるバランス感覚の上に立って、自分を見つめ、世界を見つめ、未来に向かって歩んで欲しいと、僕は思います。ま…そんな感じのメッセージが『NARUTO -ナルト-』には組み込まれているんでしょう。

それが「忍術」「チャクラ」といった特殊なアイテムを介して僕らには提供されています。だからこそ、それをリアルの僕らの世界と素直にリンクさせてしまうのは危険です。それらを「忍」殺しの道具にしていますから。僕らは既に、「そうはならない様に考えられた仕組み」の中で生まれ生活しています。しかし、それは先人達の数々の失敗…具体的には国家間の戦争、二度にも及ぶ世界大戦…を経た人々の智慧というものが齎した変革の上にある訳で、『NARUTO -ナルト-』の世界は今、その過渡にある訳です。だから、そこに登場する人物の「今」を取り上げて拒絶するのは、人がこれまでの歴史の中で繰り返した過ちを省みないのと同じです。それじゃ僕らは何も学べない。僕はそう思うのです。

ま…ちょっと、『NARUTO -ナルト-』に対する疑問というか、蟠りを拭えない読者様から質問がありましたので、この場を借りましてご返答させて頂きます。何事にも疑問を感じる事は良い事でありまして、僕もどう返答しようかと考え倦ねて、『NARUTO -ナルト-』に対する考え方が整理されたように思います。オビトがこれから血の海を創り出します。それはたった一人の女の子の死が引き金でした。それが元でオビトは世界を向こうに回して「月の眼計画」に賛同ます。そんな事をしちゃうのはオカシイ!!と、普通に僕らは思うでしょう。でも、それが『NARUTO -ナルト-』世界観として在る「忍術」とか「チャクラ」にはアリなのです。たった一人で世界を眠らせる事ができるのです。

それはこの世界観に付与された「自由」であるとも言えるでしょう。それを拒否するんではなくて、一度受け容れて、じゃあどうしようか!?と考えるところに、人としての「成長」が潜んでいる事に気付くべきです。事実、物語に登場する人々は、その中で悶え苦しみながら、それでもきています。自分や仲間の実に降り掛かる「痛み」を何とかしようと戦っているのです。その過程を僕らは味わっている最中であります。だからこそ、今、性急に物語を否定したり拒絶するのは勿体ないです。それは自己の成長や可能性をスポイルしてしまう危険性を孕んでいると言えるでしょう。鰯の頭も信心から…と申しまして、例え漫画であろうと自分の心持ちで如何様(いかよう…イカサマじゃないです!!)にも変わります。

それをお伝えしたい老婆心が僕には在る。その一心が僕をらせるのです。少しでも伝わればいいな…と思うんですが、ちゃんと伝わるかな。文章って難しいな…と(笑)。ま…かなり横道に逸れてしまって、今、僕が『NARUTO -ナルト-』に登場したら「横道ソレル」になってしまいますね(笑)。そんな風にくだらない事を考えながら、お話に戻ると、オビトの才能暴走しちゃう…と言うのは、オビトの身体から木遁の生木と共に、黒い棒(色は識別できないんだけど、ペインの使っていたナル×ジャン風に言うと「血刀」と同種の物質だと考えます)がニョキニョキと生えています。これはオビトの身体を補完した柱間の人造体とグルグルの陽遁にオビトの才能が関与してると、僕は考えています。

マダラ(仮)が懸けたオビトへの期待とは、正にそれでありまして、ぶっちゃけると、写輪眼の陰遁と柱間の細胞に対する耐性、或いは親和性に在ると思います。これまでの提示で「うちは+柱間=六道」でして、方向的には「六道仙人の再生」に向かっていると思います。オビトはそのプロトタイプとして造形されつつある筈です。オビトの怒りが開花したばかりの万華鏡に注がれ、柱間の細胞の持つ陽遁に作用しています。しかし、それが雑多で未整理な為に上手く造形できないでいる。攻撃性だけが突出してしまっている。その無軌道さ木遁六道の力暴走させている…ように、僕には見えるのです。そんな感じにオビトの覚醒を急ぐ…そんなマダラ(仮)焦りが見え隠れしていますね。

長くなったので一度切ります。

続きます。


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